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~初冬のモンゴルを訪ねて~[2002年12月03日]

10月の上旬、モンゴルへ行ってきた。帰国した翌日、自宅で何気なくテレビをつけると、そこには緑の大草原と
「北国の春」を熱唱する人々の姿が映し出されていた。
日本の大正琴とモンゴルの馬頭琴、この2つの音色を融合させ「北国の春」を奏でることにより、2国間の交流を図ろうという趣旨の番組であった。
そう、モンゴルと言えば「大草原の国」。どこまでも続く緑の大地と、どこまでも高い青い空。
そんな世界を自らの足で踏みしめる事を想像していた。
鼻から思いっきり息を吸い込んだら、どんな薫りがするのだろうか? 大の字になって空を見上げてみたい。ふかふかの絨毯に体をあずけてみたい。顔をうずめてみたい。ごろごろ転がってみたい。
馬には上手に乗れるだろうか?とりあえず相撲でもとってみようか・・・。

出発当日、成田空港でチェックインをしようとすると「ウランバートルが嵐の為、飛行機はまだ現地を出発できないでいる」と聞かされた。結局この日は成田のホテルに1泊、それはそれでいい休養になったけれど、何だか先が思いやられるなぁ。今年は例年に比べ、夏場の雨が少なかったと言う。その為、草原が枯れ、茶色の大地に姿を変えるのに、そう時間がかからなかったと聞かされた。

まずは最初の目的地、ブルドのエブツーリストゲルに向かう。ウランバートルから約300Km。
出発前から何だか雲行きが怪しい。しばらくすると、空から正露丸ぐらいの大きさの粒がポロポロと振ってきた。その真っ白な正露丸が、茶色の大地にコロコロと転がる。あられ雪だ。おいおいと思いつつもコロコロとかわいいなぁ~なんて見ていたのも束の間、次第に激しさを増し、フロントガラスをバチバチと打ち付ける。
モンゴルとは言え、10月にもなれば寒いのだろうと覚悟はしていた。ただ、それは朝・夜の話だと思っていた。それが、いきなり雪が降るなんて・・・。
あられ雪が治まったと思ったら、次は砂嵐だ。一面に蒔かれたばかりの白い粒は一掃される。大地のあらゆるものが吹き飛ばされてゆく。せっかく白くデコレーションしたばかりなのに、もったいないなぁ。視界はあっという間にさえぎられる。こんなんで運転してたら対向車とぶつかっちゃうよ・・・。

それでも運転手さんは慣れたもの。結局約6時間のドライブの後、無事エブツーリストゲルに到着。
荷物をゲルに運び込み、やっと一段落。
しかし相変わらずゲルの外は強風が吹き荒れ、外に出ることもままならない。コンタクトレンズをしている自分にとって、この世で一番苦手なものは強風だ。視界をふさがれ、目が痛くなると体中の力も気力もいっきに抜けてしまう。
そんな天候のせいもあり、何だか少しだけ気分は沈みがち。そんなところへ、少し遠慮がちな笑顔でやってきたゲルのスタッフが、ストーブにたくさんの薪をくべてくれた。煙突から火の粉が舞い、ゲル内の温度はいっきにあがる。それを確かめるとまたニコリと恥ずかしそうな笑顔を向け、そっと出ていった。またゲルに1人ぼっちだ。パチパチと乾いた空気の中で乾いた木々がはじける音だけが心地よく響く。外はもう真っ暗だ。今夜は星も月も出ていない。ほんのりとオレンジ色に染まった空間が静寂につつまれる。
なんだかとても懐かしい感覚。そう言えば、学生時代はよくテントや山小屋で夜を過ごした。
時には月明かりさえない真っ暗な山の頂上で、時には爽やかな真夏の川原で、時には獣の息づかいが聞こえてきそうな藪の中で・・・。そこは特別な空間。友と語らい、酒を酌み交わし、ゆらゆらと揺れる炎を見つめ、そんな時代から随分と離れてしまった。モンゴルにまで来ているというのに少しセンチになっていた。

そんな気分を温めてくれた存在、それがこのゲルの住人、ネコの「ノホノ」である。
ノホノとは「みどり」を意味し、もちろんモンゴルの草原から名付けられた。ゲル周辺に出没する野ネズミ退治という
大役を任せられ、わざわざスカウトされてきたほどの凄腕ネコらしい。けれども本人(?)は、いたって気紛れ。今日も鳥たちを元気に追い掛け回している。
「最近は仕事そっちのけ。ネズミはとらずにスズメばっかり食べてるんだ・・・」
と、オーナーのトゥメンさんも呆れ顔&苦笑い。
それでもノホノを見つめる目は限りなく優しい。
ネコはこたつで丸くなると言うけれど、ノホノは寒い朝もへっちゃらだ。日の出ととも05.jpgにゲルを飛び出し、何がそんなに嬉しいのか、何を見つけたと言うのか、とんだり跳ねたり走ったり・・・。
今日はどこまで遊びに行った事やら、真っ暗になっても帰ってこない。「ノホノ、ノホノ~」と呼んでみても、どうやらあたりにはいないみたいだ。きっとトゥメンさんのところにでも戻っているんだろう。
仕方ない、今日は1人で寝ることにしようか。毛布にくるまりいろいろ考えていると、何やら外でガサゴソと音がする。次いでバリバリと激しい音が。なんだ、なんだと懐中電灯をつけ外を見渡すが何もいない。中へ戻ると、今度はバリバリという音が下から上へと上がっていく。なんだ、なんだと見上げると、ゲルの天窓からノホノが「入れて入れて」と顔を覗かせていた。ドアを開けるとバリバリと下りてきた。そしてさっさとベッドの上で丸くなる。
ああよかった。いくら何でもこの寒さの中では凍えてしまう。ノホノの体温と重さがダイレクトに伝わってくる。少しばかり寝苦しい気もするけれど、それでもいいやと思いつつ、かすかな寝息の中で夜はふけていった。これからモンゴルへ行く人達は、ぜひノホノと仲良くしてあげて。

温かさと言えば遊牧民の人達。どこかへ向かうとき、帰るとき、必ず遊牧民のゲルに立ち寄った。知り合いなのか、そうでないのか、運転手さんは、のこのことゲルに入っていく。「まぁ座れ」「まぁ飲め」「まぁ食べろ」と。決して押し付けがましい訳でなく、ほどよいもてなしをしてくれる。馬乳酒が、チーズが、ヨーグルトが、次から次へと出てくる。その酸っぱさと、ほのかな甘さと、ほのかな塩味と。想像していたよりもずっとおいしい。ありふれた言い方だけど、そのままの味がすると思った。調味料ではない自然の味が。

中央に置かれたストーブを囲み、ちょっぴり窮屈なお互いの距離が、何だか無性に心地よい。
「こんにちは」と「ありがとう」以外、言葉はまるでわからないと言うのに、躊躇することなく、何だかんだと聞いてくる。彼らの目尻に、手のひらに深く刻まれたシワ。それらが描き出す、豊かでやわらかな表情。
写真を撮らせて欲しいと頼むと
「ちょっと待て、ちょっと待て」と
「一張羅のデールに着替えるから」と。
「帽子をかぶった方が男前だろ?」
「こんなボサボサの頭じゃ恥ずかしいわ」
と、なかなか許してくれない。
モンゴル人と日本人は似ているとよく言われるけれど、彼らの方がはるかに笑顔が似合うのではないかと思う。




出来上がった写真を見た。収めたままの笑顔は底抜けに素敵だけれど、それ以上に僕の心をひきつけるもの。真っ直ぐに伸びた背中と、真っ直ぐに結ばれた口元、そして真っ直ぐな眼差し。ぎこちなく、不安気でもあるような、それでいて自信に満ち溢れているような・・・。そう、本当にたくましく、本当に実直な者達でなければ、本当に優しい笑顔はつくれない。僕が勝手に解釈する程、そんなに簡単なものでも、そんなに美しいものでもないのかもしれない。それでも彼らは実感として、それをわかっているのだろう。そして、そんな大人たちの姿を見て、子供たちも同じように育っていくのだろう。

モンゴルと言えば、忘れちゃいけないのが満点の星空だ。ゲルから一歩外に出れば、寒さも忘れてしまう。
モンゴルの人達はみんな1人が1つずつ星を持っているのだと言う。日本人にとって願いを叶えてくれるロマンチックな流れ星も、彼らにとっては不吉な印。「あれは私の星じゃないわよ」と口々に言うんだって。
でもモンゴルの夜空にはこんなにたくさんの星がある。1人1つなんて言わずに10個でも
100個でも自分のものにすればいい。それじゃあ、有り難みがないのかも知れないけれど・・・。

そんな満点の星空を見上げながら露天風呂で1杯。日本人なら誰でも考えそうなことだけど、大切なのはそれを実現してしまうかどうかという事。そんな願いを叶えてくれる場所。それが今回の一番の目的地「ツェンヘル温泉」だ。

そこはカラコルムの奥の奥。道はあるのだけれど、どれが目的地までの道かはっきりわからず、進んでは戻り、止まっては道を尋ねの繰り返し。何だか運転手さんもバツが悪そうだ。
それでもやっぱり、ゲルへの寄り道は欠かせないらしい。のんびりと川原でランチを食べたり、何だかんだで6時間もかかってしまった。やっとの事で辿り着いたが、残念ながら既に今年の営業は終了していた。
本当は事前にそれを知らされていたのだけれど・・・。それでも強引に敷地に入り温泉に浸かってしまおうと考えていた。閉じられたゲートを乗り越え、建物の1つ1つを覗いていく。
「ここはトイレだ、ここはビリヤード場だ。」
広い敷地にはゲルがいくつも張れるようになっている。
囲いの外はちょっとした裏山みたいで、小高い丘に沢山の木々。今日は空もどんよりしていて、寒々しいけれど、夏になると鮮やかな花が咲き乱れ、それはそれは美しいのだと言う。「肝心の温泉はどこだ?」いくら歩き回ってもそれらしきものは見つからない。無人の敷地内に真っ白な湯気がたちこめる様を勝手に想像していた自分にとって、最初それが露天風呂だとは気付かなかった。建物に隣接するように石を組んだ空間があった。

そこにスポッと腰を下ろし、腕を真横に、足を前に伸ばし、ハッと思った。これは風呂に入る体勢じゃないか!
我ながら鈍感だなぁと思うけど、そう、それが露天風呂だったのだ。そこは空っぽであるけれど、その深さといい、広さといい、正に日本の露天風呂とおんなじだ。温泉は施設の少し上の方からパイプで引いているのだ。冬の間は元栓を閉めていて、蛇口を思いっきりひねってみたけれど残念ながら反応なし。
せっかく水着まで持参したのにね!
「冬ならではの温泉なのになぁ・・・。」
10月からは休館なんて、もったいない、もったいない。
でも仕方ない。間もなくここも深い雪で覆われてしまう。ここまで辿り着くことができなくなってしまうのだから・・・。
温泉施設のすぐ近くに源泉というか、太いパイプから熱湯がこうこうと湧き出していた。
それが近くの川に流れ込み、ほどよい温度になっている。そこで遊牧民の家族達が、皆で洗濯をしていた。そう、温泉は、何もツーリスト達の贅沢の為だけにあるのではない。ツーリスト達が姿を消し、雪に閉ざされるこれからの季節にこそ、その本領を発揮するのだと思った。

緑色の衣装を身にまとったモンゴルはきっと、それはそれは美しいのだろう。晴れ渡った青空と白い雲を見上げながら、そんな緑の絨毯の上を風を切って走れたら、どんなに素敵だろう。今回の旅行は少しばかり時期が悪かった。それを見せられなかった事を彼らは残念に、そして申し訳なく思っているようだった。
そんな事はない。僕は十分に満足している。どこまでもどこまでも広がる、深い深いカラコルムの大地は、地球のでかさを改めて思い知らせてくれた。ツーリストがいない、寒々としたモンゴル。けれども、これも確かにモンゴルの素顔なのだと、それを見ることができたのだと、そう思っている。「潤さん、今度は夏のモンゴルを見に来てよ。」
「ぜひ、ナーダム祭を見せてあげたいよ。」

夏の自然の美しさと、伝統文化が凝縮された競馬や相撲の競技会は彼らの自慢であり、誇りなのだ。
わかった。必ずまた会いに来るよ。そう約束してモンゴルに別れを告げた。
帰国後、お世話になったガイドさんの何人かからメールが届いていた。日本語が話せ、ガイドという仕事につき、モンゴルでは恵まれた環境にある彼女達でさえ、冬になると仕事がなくなってしまうと言う。
あったとしても簡単なアルバイト程度で、毎日の時間を持て余していると言う。今モンゴルは氷点下20℃まで下がっているとのこと。それこそ雪に閉ざされた、真っ白な世界だ。みんな口々に「モンゴルの冬は寒くて嫌いだよ」と言う。
そう思ってしまうのは仕方ない。
そんな中、あるガイドさんが「私は冬が1番好き」と話してくれた。
「冬は 気持ちいい色があるし、真っ白いでしょ。この色は
夜もっと美しく見える。星みたいにきらきら光るから。
まだ悪い人の悪意がなくなるようにかんじます。」 
いい言葉だな、と思った。
悪人を善人に変えてしまう力を秘めた、そんな気にさせる、冬のモンゴル。日本の冬は、そして、そこで暮らしている僕たちはどうなのだろうか?

電力事情も十分ではないモンゴルでは、正に寒く長い冬が始まったばかりだ。きっと彼らの心の中には「北国の春」のメロディーが流れているのだろう。遠い、しかし確実にやってくる次の春を待ちわびながら。

青沼 潤
2002年10月

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