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私もインドで考えざるを得なかった[2003年05月28日]

私もインドで考えざるを得なかった

12:00 出発エアインディアAI301便ムンバイ(ボンベイ)行き。ここ成田から一路、最初の目的地であるインドは南西部沿岸に位置するケーララ州トリバンドラムを目指す。到着は翌朝5:20、日本時間だと朝の8:50だ。所要時間はざっくり21時間。「なぬ、21時間~?!」、“近くて遠い”アジアはやっぱり遠かったのか?

いや違う、目的地まで経由が多いのである。このAI301便はバンコク・デリーを経て、ムンバイへ。ここで国内線に乗り換えてトリバンドラムへ向かう行程だ。「成田から一路」と書いたが、「成田から何路だ?」とぼやきたくなる。
(※ちなみに2003年7月よりバンコクを経由しないデリー直行便が就航予定とのこと)

おまけに、エアインディアは殊のほかセキュリティ関係が厳しく、バンコク・デリーといった寄港地で機外に出してもらえない。他の航空会社なら機外に出て免税店を冷やかしたり、ベンチでぼっとしたりしながら出発を待つのだが(早い話が機内清掃に邪魔だから追い出されるのだが)、それができないのである。といって、おとなしく座っていると掃除のおっちゃんがやってきて「はい、どいてどいて」と言われる。窓側の席だったので到着まで我慢していたトイレも「今掃除してるさかい、邪魔せんといて」と言われる。後に座っていた女性は「旅行会社の人は、外に出られると言っていたのに、キーッ!」とキレている。まさかうちじゃないだろうなあ、と思いつつその女性のかばんには某社のタグがついていた。だめですよ、某社の某さん。誤って情報を与えちゃ。

折しもこの時期は「A」から始まる国の「B」から始まる名前の人物が「war! war!」わめき立てて世界情勢が緊迫していた時期。何の因果もないが私はトイレにたてない事に彼を呪った。加えて、世界情勢の緊迫が旅行業界全体の冷え込みに拍車をかけている。ボーナスがなくなるかもしれない旅行業界で働く人たち全員の呪いもついでに乗せておいた。

「おばぁ」登場
そんなこんなの15時間40分を経て、0:10ようやくムンバイ空港に到着。ここから3時間、ぼ~っと及びすやすやと及び「zzz…」としながら3:20発トリバンドラム行きを待つことになる。

ムンバイ空港の免税店は、スペースはそれなりにあるものの品が非常に少ない。(後でわかったが、チェックインカウンター周辺のお店の方が種類も豊富で見ていて楽しいものが多かった。) 3分で店を見終わり「あと3時間かぁ」、と半ば思考が停止した頭で考えているころ、小柄なインド人のおばあさんが何かを話しかけてきた。「ガイドのラーマ・ガンディワラです。」実に流暢な日本語である。この人がこれから最後までお供してもらえることになるインド政府公認ガイド・ラーマさんである。
彼女はどことなく「ちゅらさん」の「おばぁ」こと、平良とみのような雰囲気をもつおばあさんである。「おばぁ」がきれいなサリーを着ていると想像して頂ければよい。そんな穏やかな風貌ながら、ガイド歴は実に35年、彼女曰く「紀元前からやっていました」という自称25歳、さらに看護師の資格を持ち、通訳の仕事まで引き受け、夢はお金持ちの若い日本人と結婚することという、なんともボブサップ級のパワフルなおばぁである。
彼女が加わり、トリバンドラム行きAI866便は定刻に出発。機種は全日空でも使われているエアバスA320。だが、オーディオはなく座席前のもの入れは底が抜けていた。つごう5回目となる機内食を、きれいに平らげてしまう自分に一種の無常を感じながら、AM5:20最初の目的地トリバンドラムに到着。
出国手続きを経てターミナルに出ると、「やっぱり」どよんとした生暖かい空気と黒山黒顔の人だかりがお出迎えだ。
ある程度の予想はしていたが、いや、まさかの時間にいくらなんでも、それも南インドの地方都市で、と思っていたが予想以上にすごい人の数である。加えて、殺風景な建物に薄暗い照明のした、早朝4時ごろに盛況な魚市場をのぞきに行った時の光景とだぶる。
そんな人だかりの中を、えっさえっさとくぐり抜けバスに乗り込み、いざホテルへ。東の空がうっすらと明るくなり、沿道にはやしの木が多い茂っていることが分かってくる。なんとなく日本の海水浴場沿いにありそうな、海の家や民宿が軒を連ねていそうな雰囲気の小道をバスが走っていく。

「うししっ」なアクシデント発生
トラバンコア・ヘリテージバスに揺られて30分、今日の宿「トラバンコア・ヘリテージ」に到着。赤い屋根とその形がバリ島の建築物を連想させるようなオープンエアスタイルのホテルである。そういえば、バリ島もヒンドゥー教。ここももちろんヒンドゥー教。通じるところはあるのかなと思う。ロビーの手すりから外を見ると、やしの木が植わり同じく赤い屋根のコテージが点在する。海が荒いのか、まだほの暗い海岸のほうから波音が聞こえる。

チェックインの手続きを待っている間、ボーイさんがコーヒーを運んできてくれた。「インド=チャイ」のイメージが強かった私は少々面食らったが、何でもインド南部、特にこのケーララ州ではコーヒーの生産が盛んでよく飲まれているのだという。香ばしくやや苦味のあるコーヒーだ。椅子に腰掛けそれをいただいていると、ガイドのラーマさんが慌てた顔をしてやってきた。

「明日、この街でゼネストがあるそうです。治安が不安定となるので、ここから出ることが出来ません。」

ゼネストがあることが判っていたのは5日前からだという。事前に判っていながらなぜ、と詰め寄る人もいたが、私は心の中で「にやっ」とした。
今回のスケジュールははっきり言って慌しい。贅沢な時間を過ごすことが出来るホテルをこれからいくつか巡るわけだが、全てたった一泊。しかも、いずれも早朝に慌しく出発。インドの現地旅行会社が組んでくれた「南インドの観光地、がっちりきっかり見て帰ってもらいまっせ」プランだったが、それはいきなり崩れた。
「何もしない」をする。海風にただ身を委ねる。ハンモックに揺られながら大事な人のことを思う。リゾート地に来てしたかった事はまさにこれだった。しかし、わっせわっせと働く日本人にとって、これはなかなか出来ない代物である。私だって疑わしい。だが、いきなりそのチャンスが訪れたわけである。

「カレー」は果たして醤油か?
そうしているうちに時計は7時をまわっていることに気づく。とにかく疲れていても、腹はすくものである。すぐさま朝食に突入。そしてやっぱり出た!カレー。
今回、初めて訪れるインド。出発前、周りからはとかく脅しがかけられた。「帰国するころには毛穴からカレーの匂いがする。」「抗生物質持ったか。」等々。そこで、私はひとつの目標を掲げた。「カレー完食」果ては「完食・快食・快便」である。これまで、腸が弱いうえ暑いのが苦手な私にとってアジアは、とかく敬遠してきた旅先なのだ。
飛行機に乗った時点から「仁義なき戦い」は始まり、それは難なくこなしてきた。しかし到着早々、「眠い。疲れた。」を連発する我々に容赦なくカレーは「おいしいよぉ」という妖しい香り放ちながら擦り寄ってくる。
その擦り寄ってきたカレーはダールという豆のカレー。だが、カレーではあるがカレーというよりはスパイスがふんだんにはいった具だくさんスープという表現のほうが正しいと思う。聞いたことあるようなないようないくつものスパイスの爽やかな香りが鼻に飛び込んでくる。
日本でいうカレーとは、いわゆるボンカレーであり、ククレカレーであり、バーモントカレーだと考える。給食や夜の食卓にカレーが上ると「わーい、今日はカレーだぁ」と目が輝いたりした。
私は「カレー完食」を掲げる上において、まずこの経験と認識を捨てることから始めた。そしてかわりに、椎名誠も記していたのだが「カレーは味噌汁だ」と認識をインプットした。なるほど、毎日、特別何も考えず飲む味噌汁ひとつとっても、赤・白・合わせ・こうじ・豆・こめ・信州・八丁・etc…とある。
しかし、――― 先に述べてしまうと、果たして全日程完食を達成したわけだが――― 1つの疑問がわいていた。「カレーは主役か?」
前述に照らし合わせば、日本では間違いなく具材を差し置いて主役である。ところがここインドでは当然の存在である。「今日はおいしい魚が手に入ったからカレーに入れよう。」「今日は羊をつぶしたからカレーに入れよう。」主役は具材である。
そうか、カレーは主役ではなく、色々な具材を引き立て、まとめ上げる総合調味料なのだ、日本で総合調味料と言えば醤油なのだ。とするとカレーは醤油と同じなのだ。うんうん。一人で勝手に納得する答えを数日後に導くなんてこの時には知る由もなく、気合を入れて早朝の豆カレーを平らげた。

至福の非生産活動だ
何も予定のない日が2日出来た。さて何をしよう。いや、何もしないんだった。でも何もしないのはどうやってすればいいんだ?
せめて、話のタネになるものでも体験しなければ、ということでアーユルヴェーダマッサージとヨガを体験することにした。ヨガは翌日の早朝、は朝食後に予約を入れる。(ヨガは無料、アーユルヴェーダは75分全身コース850ルピーだった。) さらに、ラーマさんが「明日午後からこの村の周辺をお散歩しましょう。」と誘ってくれた。二つ返事で応じる。だが気が付いたら明日の予定は全部埋まっていた。「むむっ」少々たじろいだが、まあいい。今日一日、長旅の疲れをゆっくり取りましょう。考えなくても、「何もしない」をしていることになるな。そう考え直し、満足したおなかを抱えながら部屋に向かった。
部屋は同じく赤屋根で葺いた一棟立てのコテージタイプ。玄関にはロッキングチェアが置いてある。冷房の効いた中は自然採光が施さられていてランプはベッドの枕もとと机の上にしかない。奥の扉を開けると中庭になっていてその左手には洗面台、トイレ、シャワーブースがある。簡単に仕切りがあるが、実質上「おそと」である。
ホテルの雰囲気を写真に収めるべく一通り探検をした後、シャワーを浴びて短パン・Tシャツ・サンダルに着替える。そして玄関前のロッキングチェアに身を沈める。
このホテルはビーチから200mほど奥まったところの切り立った崖の上に位置する。ちょうどこのコテージからは、そのビーチを一望することができる。ビーチでは現地の人がたくさん集まって一斉に何かしている姿が見えた。よく見ると、地引網を引いて漁をしているみたいだ。リゾートホテルの前だが、何構うことない地元の人々の生活を目の当たりにする。波は、雨季の訪れが近いのか少々荒い。

目を閉じるとそのやや乱暴な波音が遠くから聞こえ、頭上からはやしの木々を渡り飛ぶ南国の鳥の鳴き声が聞こえてくる。時おり海風が通り過ぎていく。気温は30℃前後。日本でいえば「そろそろ夏本番」といった陽気である。

ああ、これだこれだ。「何もしない」って。それを確信した私は周りから見ると怪しいほど「むふふ」な顔をしていたに違いない。しかし、その喜びをかみしめる間もなく、私はそのまま眠りに落ちていた。気が付いたら夕方になっていた…。

 

インドの常識に翻弄される

翌朝7時、予定通りヨガ道場に向かう。階段を上ると非常に丁重な物腰のインストラクターが立っていた。彼は「そこのゴザを取って、座って待っててください。」と、側に立てかけてあるゴザを指差して言った。医者でもあるというマリオのような顔をしたオヤジである。

ヨガの基本は呼吸にあるようだ。「ゆっくり大きく深く」鼻から吸って吐く。普段、スポーツジムでこなしているストレッチから、あばれはっちゃくのようなアクロバティックなストレッチまで、1時間色々なポーズが展開されたが、一貫してインストラクターの「深呼吸~」の言葉が響く。そして「リラ~~ックス」とまことに悦に入った甘い声が朝の空気に溶けていった。

清々しさと微かな恍惚感を覚えながら、朝食へ。昨日と同じダールのカレーに韓国のチヂミのようなパン、アダパンをこすりつけ、搾り立てのスイカジュースとともに流し込む。それで足りるわけなく、玉ねぎ・トマト・チーズ・グリーンチリにフレッシュコリアンダーが入ったマサラスタイルのオムレツをオーダー。これも軽く平らげ、アーユルベーダマッサージの建物に向かった。

建物は先ほどヨガをしたところの1階。個室になっており、明るいとはいえない6畳ほどの部屋に入ると、中央に木製の寝台がデンとあり、傍らにゴムのエプロンをした小柄だがガタイのいい男が立っていた。話に聞いていたとおり全裸となり「無いよりはマシ」な白いマワシをつけられる。(ちなみに女性もこの格好とのこと。) まず頭皮にオイルが垂らされガシガシとマッサージが始まった。期待したオイルの香りは木酢液のような臭いがする。(ちなみに女性には「柔らかな花の香り」だったらしい。) 人間園芸状態或いは人間ピクルス状態にたじろぎはじめる私の事など気にもせず、彼は木のベッドに乗るよう指示する。「くすぐったイタイ気持ち良イタイこそばイタイ、ああそんなところ、あ、あ、イタタタッ」と悦楽とは程遠い時間を1時間、全身にオイルを揉み込まれた。仕上げは顔のマッサージ。ところが、これが先ほどのとは対照的に気持ちよく、体力を消耗していた私はあっという間に眠ってしまっていた。

この一連のプログラムは、通常3日から2週間にかけて行われるものである。これを目的に長期滞在している人をいて、そのプランも用意されている。実際に、もうすぐ滞在3週間目だとドイツ人グループがいて、その腕からは先ほどのオイルの匂いがした。日本的に言えば、温泉療治といったところだろうか。

それにしても、6畳一間の部屋に男が2人、片方は全裸で1時間無言の状態というのはどう形容したらいいのだろうか。
エステブームも手伝い、日本でもブームになっているアジア各国の色々なマッサージ。美容とリラックスを求めてこれらをハシゴするOLなどもいたりして、その認知度は高まっているが、大概の国では男性を女性がマッサージする、或いはその逆が特に違和感無く受け入れられている。ところがインドでは、そんなアジア各国事情は「インド人もびっくり」なのである。宗教性を帯びた価値観が背後にあると思われるのだが、同性がマッサージを施すというインドの民・百姓・牛も疑わない「インドの常識」が存在するのだ。
「うーん、参った参った」揉まれまくった太ももに鈍いけだるさを覚えながら、隣室に待機していた医師の軽い問診を受けた。肌の弱い人のことを考慮すると、こういったアフターケアがあることは何とも安心だ。早口な英語で「体に異常はないか」と聞かれたので、「ありませぬ、ありませぬ。」と早口で答えた。オイルが落としきれていない体は、本能的にプールへ向かっていた。

「清貧」をこの地で考える

夕刻、ガイドのラーマさんとともに近くの集落に出かけた。日本人が珍しいのか、老若男女みんな好奇心を持って手を振ってくる。手を振り返すと、「○○クンがアタシに手を振ってくれたぁ!」とアイドルに手を振り返されたと言わんばかりの笑みを浮かべはしゃいでいる子もいれば、隠れてしまうシャイなはにかみ屋さんもいる。小さい子供たちが駆け寄っては写真を撮ってとせがむ。
コバラム海岸近郊の村にてここの人たちは無邪気で明るい。意外だったのは「バクシーシー(施しを・・・)」と近寄ってくる人がいなかったことだ。北部に比べて所得較差が大きいのだが、それでも物乞いの数が少ないのは貧富の差が少ないからのようだ。そのかわり、「お菓子ちょうだい」と言ってくるのと同じくらい「ボールペンちょうだい」と言ってくる子供が多いことに驚く。

ここケーララ州はインドのなかでも、教育水準が非常に高い州として知られ、識字率は98%にも及ぶ。ただ、国内に職が無いため国外に職を求めるという。行先は中近東やヨーロッパ、アメリカだ。

事実、ここの中学生くらいの子には大概英語が通じた。英語がわからないおばあさんや小さい子でもその中学生が通訳となる。「ボールペンちょうだい」はその教育水準の高さの裏付けなのか。「うーむ」思わず唸った。

ラーマさんご一行がとある民家を訪れると進んでガイドをかって出る青年がいた。聞くと私たちが滞在しているホテルの従業員だという。彼は、ビートルズのナンバーを口ずさみながら、マンゴーの実がなっていることを教えてくれたり、やしの木に登って見せたり、やしの葉で指輪やブレスレッドを作ってプレゼントしたりと非常に陽気だ。そして、彼は顔なじみ(といっても、この集落全員が全員顔なじみのような感じだが)のお宅にお邪魔させてもらおうと言う。

訪ねたお宅はコンクリート作りの2階建て、裏庭にはニワトリや牛やヤギを飼っている、この地域でいえば「中流階級」なお宅だ。おばあさんがお盆にミニバナナと赤い色のバナナを盛って、何と言っているのか解らないが「召し上がれ召し上がれ」といった感じで勧める。普段口のするバナナとは違う、特にミニバナナはねっとりした甘みの濃いバナナだった。

決して裕福ではないのだが、それなりにこざっぱりとしており、中学生くらいと小学生くらいの兄妹が部屋の隅々まで紹介してくれる。自分たちを卑しめるところは何もない。室内の明かりはお世辞にも明るくないのだが、家族の笑い声がとても明るいのが何よりも嬉しく、それが逆転してしまったどこかの国のことを思い浮かべてひとり苦笑した。

そんな中、おばあさんが外に出て、バナナの葉を使った籠作りを「実演」してくれた。大きく茂った葉を乾燥させその葉を編んでいく、非常に素朴なものである。1日に25個くらい作り、街のマーケットで1個1ルピーで売るのだという。
帰り際、おばあさんは「今度来たときはうちの泊まりに来てね」と言ってくれた。日曜の某TV番組の22:45頃のシーンと下條アトムの声が頭の中に流れた。後ろ髪を引かれながらその家を後にした。

トニー谷がインドでウケる可能性
二日間、南インドのリゾートライフを満喫した私たちは、次の目的地、クマラコムに向かう。ここから車で6時間だ。
ドライバーさんと一緒に今回、全行程を運転してくれるドライバーはトゥルシーさん。白くて糊の利いたパンジャビとパイジャマを着込んでいる。パッと見の背格好はちょうどナイナイの岡村隆史、顔はアーノルド坊やをそのまま大人にしてヒゲをつけたような感じのおちゃめな2児のパパだ。
インドの運転もご多聞漏れず非常に「スリリング」である。前の車がその前の車を追い抜こうとしているところを、まとめて2台(つまり3台が横一線に並ぶ)ごぼう抜きというのは普通である。ほとんどの行程を助手席で過ごしたのだが、最初はホントにヒヤヒヤものであった。(ちなみにイギリスの影響下だったので左側通行。その点はほっとする。) 
それに、クラクションがすごい。どうも、こちらではクラクションを鳴らさないほうが危ない行為らしい。つまり日本では「ミラー等で車の存在を確認しないあなたが悪い」だが、ここでは「ブーブー鳴らして車がいることを教えてくれなかったあんたが悪いのよ」になるようだ。
だがトゥルシーさんだから、かもしれないが「荒い」というのではない。実にそつのない運転を展開する。助手席から自動車教習所の鬼教官的視線およびシートベルト取り締まり交通課警官的ネチネチ視線で運転を見ていたのだが、カーブでの死角や牛の飛び出し(!) などの危険予見は「見事」である。
ペリヤールまでの道中にてインドの道を走っていて、気になることがあった。IT産業に関する看板の多さである。やしの木が茂る中から「COMPUTERなんとかぁ」と書かれた看板が突然どーんと出てくるのはとても奇異な印象を与える。バナナが売られているほったて小屋のような店の隣の、薄汚れた建物には“INTERNET CAFE”の文字が躍っていた。そういえば、今朝新聞で見た求人広告欄はシステムエンジニアだのウェブデザイナーだのなんとかプログラマだのIT関係のたぐいで占められていた。
インドは次世代のIT大国と言われている。人件費が安価なのはもちろんのこと、「インド人における数学のレベルの高さ」がその理由として言われている。つまり、工場立地が云々という話ではなく、優れた人材資源が豊富なのである。
日本が昔から数学において世界のトップレベルである背景として、そろばんと「九九」の存在があるといわれる。では、インドには何があるか?
「ラーマさん、アバカスは得意ですか?」ガイドのラーマさんに何気なく聞いてみた答えは「YES」。インドにもアバカス、つまりそろばんがあるのだ。さらに驚くことに、インドにも「九九」があり、しかも20の段まであるのだという。インドの小学3年生は14×16や19×17を暗算ですらすら解いてしまうのだ。
夕べの「ボールペンちょうだい」といい、「九九」ならぬ「二十二十」の存在といい、アタマを休めにここに来たはずの私は「お勉強できます国家インド」カルチャーショックの襲来に何故かしどろもどろになっていた。
そんな車窓を眺めつつ、いくつかの街(やっぱり、どの街でも人人人人人人人人だ)とやし並木を抜けて、車窓はバックウォーター(水郷地帯)の情景を映し出した。細い川が何本も流れ、その度に橋を渡る。その橋を渡るときに見える水辺にはマングローブの木が群生している。うっそうとしたやしの木の道をくぐり抜けると、うす曇の空にそろそろ田植えを迎える頃であろう水田が視野一面に広がった。
今日の宿「ココナッツ・ラグーン」はそんな橋のたもとの船着場からやや小さい観光船に乗り換えて、入場する。
川を10分ほど下ると右岸にゲートと門番が見えてきた。汽笛一声、ゲートは揚げられホテルの敷地内に入る。レストランでくつろぐ宿泊客を左に見ながら程なく着岸。下船したところがちょうどロビーとなる。こういった水路が敷地内に張り巡らされているユニークなホテルだ。水路の彼岸には水牛がつながれており、その足元をガチョウがよちよち歩いている。
部屋は前日と同じく一棟立てのコテージタイプ。奥の扉を開けるとこれも同じく中庭になっていてその左手には洗面台、トイレ、シャワーブースだ。

「ガガガ」が「ゴロゴロ」に打ち勝つ日
その夜、チェックイン時に気になっていた“INTERNET CAFE→”の看板につられて、夕食後に日本にメールを送ろうとインドのインターネットを体験することにした。1時間10ルピー、だいたい30円弱。特に受付時間や部屋番号の記入をするわけでもなくフロントの奥の部屋に案内された。扉に“INTERNET CAFE”と書かれた部屋は6畳ほど、パソコン一式と椅子が2つあるだけ。どこが“INTERNET CAFE”やねん、とお約束のツッコミを心の中で入れつつも、スタッフがインターネットにつなげてくれるのを見守った。外は雨季の訪れなのか遠くで雷鳴が鳴り響きぽつぽつと雨も降ってきた。程なく「ピーピーピーガガガガガガガ」という、我が家でもほんのちょっと前まで「現役」だったのに、もう懐かしさすら覚える128Kbpsアナログモデムの通信音が鳴り響いた。立ち上がってくる画面は“Yahoo! India”。ああ、ここはインドなんだなぁという実感が奇異な形でこみ上げてくる。
「インドのインターネット環境はすばらしい。しかし遅い!」と地元観光局の方がおっしゃっていたが、期待をしていなかった分快適だ。しかし順調なネットサーフィンとはうらはらに、外の様子はますます怪しさを増し、雨粒雨足とも大きく強くなってくる。傘を持ってきてない我々は雨が止むまで足止めを食らうことになった。とはいっても、まあ1時間インターネットをしているのだから、それくらいには雨が上がるだろうとヒジョーに楽観的に構えていたが、インドの天気は我々に甘くなかった。雨が上がらない、ということではない。雷が光るたびに回線の接続が落ちるのである。これには困った。再接続を試みては落とされる。ついには「1200bpsで接続中」(さっきまで96000bpsでつながっていた)と出てついにはつながらなくなった。スタッフを呼ぶも「よくあることよ」といわれ、「気にしなさんな」という表情を浮かべる。結局、雷が遠くなるまでインド製パソコンの鑑賞時間になってしまった。
もっとも、予定より20分近くオーバーしたのだが、料金の追加徴収されるわけでもなかった。フロントに一言礼を述べると「いいってことよ~」という感じで、首を縦とも横ともにつかわない8の字というか「∞」の軌道を描きながらにこやかに応えた。どうもこのあたりの人はこのような曖昧な首の振り方をする人が多い。「~していいか?」と尋ねると「YES」と言いつつもニュアンスは「好きにすればええさぁ」或いは「ご自由に~」といった感じで答えるのである。ちょうど日本人の愛想笑いに近い感じである。そんなスタッフの笑顔に見送られてねっとりと濡れた空気の中、部屋に戻った。


牛は牛にあらず

翌朝7時、渋滞にはまらない為にも早く出発しましょう、という昨晩の夕食の席で出された提案が実行に移された。渋滞を避ける、という懸案は世界共通なのだなと少々苦笑しながら、次の目的地ペリヤールに向かう。所要時間は約5時間。海沿いを北上した進路を一旦離れ、東の高原地帯に針路を取る。車窓も水田とやしの木と水路が占めていた風景が、山と広葉樹と山腹に点在する村を遠くに臨む風景にみるみる変わっていく。山肌に茶畑も見られる。日本のように整然と、かつ大型扇風機などはないが、硬葉の低木が段々畑のように斜面に広がる。
ペリヤールまでの道中にてそんな山道をバスがえっちらおっちら上って行く途中、山から下りてくる水牛の集団に出くわした。しかも、一回だけではない。時には20~30頭もの集団が道いっぱいに広がって下りてくる。その後から牛使いらしき男が牛をつないでいる縄とムチを手にもち、歩いてくる。その度にバスは速度を落としやり過ごした。「山に水牛?しかも牛は神様の使いではなかったのか??」、しばらくすると道路からちょっと降りた広場に大量の水牛が出現した。ここで水牛の取引が行われているのだという。ここでは、水牛はまだまだ重要な農耕の働き手となるだけあって、男たちの選ぶ目は真剣だった。
しかし、まだ頭がナゼナゼモードから解除されないまま、間もなくバスはペリヤールの街に到着した。ここはクマラコムとは一転して高原のリゾート地だ。空気はからっとしていて涼しく、太陽が近いことを感じる。
今日の宿は「スパイス・ビレッジ」。何とも香ばしい名前のホテルに一同出発前から気になっていたホテルだ。
ホテルスパイスビレッジもともとスパイスのプランテーションだったという土地に造られたこのホテルは、その名残もあっていたるところにクローブ、ターメリック、ペッパー等といったおなじみのスパイスの木が植えてある。ゆるい傾斜地に茅葺きならぬヤシ葺き屋根の独立コテージが点在するつくりだ。ヤシ葺きとはいえ、室内はコンクリートでしっかりと作られており、先日先々日とは違いトイレ・シャワーも室内、バスタブやセキュリティーボックスも完備されている。
スパイスプランテーション昼食後、近くで実際に運営されているというスパイスプランテーションの見学に向かった。一見すると何の変哲もない熱帯樹木の雑木林なのであるが、よく見ると確かにおなじみ香辛料が実をつけているのである。樹皮や葉っぱの匂いを嗅げばシナモンの香り、「あ、これは…、えーと、、、」という名前は浮かばないが鼻腔に記憶のある爽やかな香りが次々と飛び込んでくる。密林の中でこれらを見つけた先人も偉いが、これを用いて肉の防腐剤とした大航海時代の先人も偉いもんだと、思いをはせた。
土産屋で白胡椒と黒胡椒を格安で購入したあと、ペリヤール湖のサファリクルーズへ。人造湖であるというこの湖は湖面から立ち枯れした背の高い木がにょきにょきと顔を出している。船は巧みにこの木をよけながら進んでいく。湖岸には野生の象の親子、鹿やバッファローの群れが見られた。運がよければヒョウも見ることができるという。
その夜の夕食には意外なものが登場した。バラクーダの塩焼きである。体長は1m前後の大物だ。日本でいえば、鰆に似ているであろうか。実際、味も淡白で塩コショウだけで十分いただける。脂の乗りは期待通りではなかったが、初めて大根おろしとしょう油が恋しくなる瞬間でもあった。
そしてもっと驚いたのはカレーの具である。どう見ても牛肉が入っているのである。「この肉はなんだ?」すかさずコックに聞く。彼女はバッファローと答えた。どうもインドでは、牛と水牛は全く別物らしい。同時に昼間の疑問もいくらか解けた。
バラタナティアムダンス夕食後に土産物屋でどうにも気になっていたインドの典型的な庶民の服であるパンジャビとパイジャマを購入し、そのままバラタナティアムダンスを鑑賞した。南インド地方の伝統舞踊だとカタカリダンスが有名であるが、このバラタナティアムダンスも南インドの代表的な伝統舞踊だという。踊り手である女性の動きや目の動き、歌い手のコミカルな歌い方が非常に特徴的であった。特に目の動き方はバリ島のバロンダンスのそれに良く似ており、ヒンドゥー教の影響が色濃く残る舞踊だ。ちなみに、インドの中でも南の伝統舞踊は「神」に捧げるものであり、こういった特徴をもつ踊りが多く、北は「王」に捧げるものが多く、また特徴を異とするものが多いという。

インドの魚に憂慮する
翌朝6時、渋滞にはまらない為にも早く出発しましょう、というまたも昨晩の夕食の席で出された提案が実行に移された。
最終日、最後の目的地であるコーチンに向かう。所要時間は昨日と同じ5時間。山を下り、再び北上するコースだ。車窓もやしの木が覆う見慣れた風景に戻っていき、気候も30℃を超え湿った空気が流れる。
この日、私は夕べ購入したパンジャビとパイジャマを着た。なるほど、綿でできたこの衣服は風通しもよく誠に心地がいい。いっぺんに気に入ったわけだが、日本で着るといっぺんに「アヤシイ」人物に間違われるという恐れがあり、部屋着にとどめるしかないなという事を残念に思った。
昨日と同じく昼前にコーチン到着。
チャイニーズフィッシングネットさっそく南インドの代表的な風景になっているチャイニーズフィッシングネットを見に行った。バスを停め、海岸線の入っていくと、大きな網のついた装置が何基も続いている。網といっても巨大な土木用具のもっこがぶら下がっているみたいなものである。それをばっちょんと海に落としてしばらく時間が経ったら引き上げるというきわめて単純な漁法だ。エサとかも一切ない。しかし、実際引き上げてみると何匹かかかっているから不思議である。
猟師の一人が網を上げてみるかと日本語で話し掛けてきた。やっぱり観光客が多いのか物売りがやたら近寄ってくる。土産物屋も、誰がそんな日本語教えたんだと眉をひそめたくなる日本語で売り込みにやってくる。最終日にしてようやく「インドらしい」状況になった。
猟師に10ルピー渡して、網引きに参加させてもらった。「エイコラ、エイコラ!」という掛け声のもと、網は引き上げられる。思わず、「今なんて言った?」と聞き返してしまうぐらい掛け声は偶然にも日本とそっくりだ。そしてたった今、引き上げて再び海に沈めた網だったにも関わらず、網には数匹、魚がかかっていた。
ここ数日、インド人の頭のよさを実感することが多かったが、どうもインドの魚の偏差値はそうでもないみたいだ。
夕方、最後のイベントとなるカタカリダンスの鑑賞に出かけた。場所はチャイニーズフィッシングネットのある海岸に程近いコーチンカルチュカルセンターというところである。このセンターのユニークなところは、開演前に出演者が舞台でメーキャップを施しているところであり、その風景を見学することが可能である。今日の主役であろう役者がメーキャップしているところであったが、中肉中背、髪を七三に分けていて一見、「5時まで仕事していました」と言いそうな普通のサラリーマンに見えた。
そして、ここの管理人と思しき人が開演前に今日の舞台の演目、筋書きを丁寧に説明してくれる。まるで、歌舞伎の「次に始まりますこのお話は、・・・」と説明してくれる案内人のような感じだ。

いざ舞台が始まると、先ほどのサラリーマン氏の表情は全く別のものと変わり特徴的な目を見開かんばかりの大きい目をぎょろっと動かす。その様はまさに圧巻。文字通り神に捧げる踊り、いや、神が彼に舞い降りた踊りだったと言っても過言ではないだろう。

旅を終えて
インド南部は「インドであってインドでないところ」と形容する人もいる。
インドに旅行というと、「ガンジス川を見て、タージマハールを見て、ターバン巻いて、カレー食ってくるぜ」となるのであろうが、それは全て北インド・東インドの周遊コースとなる。そういう意味から南インドは、日本ではまだなじみの薄い観光地の一つだと言えよう。逆も然りなのか、色の白いアジア人である日本人が珍しいらしい。実際、ホンダのバイクに誇らしげに乗りながら、JAPANという国は知らないという若者がいた。
幸か不幸か、周囲のインド渡航者とは話がかみ合わないことがわかった。そういう意味ではインドを一通り巡った、という方にぜひとも訪れて欲しい土地である。

長谷川 一樹
2003年3月

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