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インド・混在するそれぞれの宗教 [2003年06月28日]

人にはそれぞれインドへ向かう時期が決まっているという。
アジア・中近東など周辺諸国を旅することがあってもインドだけは避けてきたのはそんな言葉が頭にあったからだと思う。わざわざ計画して行こうと思わなくても自然とそのときはやってくるのだろう、と。
そして時が熟したのか、はたまたただなんとなくで決まったのかは不明だが、私の初インドは会社命令という形でやってきたのだった。

 

インド人のお宅訪問
ホームステイ先今回の旅の目的といえばカルカッタでのホームステイとマザーテレサの家でのボランティアだ。
バンコクで乗り継いでカルカッタに着き、やっとホームステイ先に着いたのが夜の11時。
深夜の到着にも関わらずご家族は温かく迎えてくれた。
昔はガイドとしての仕事がメインだったと言うだけあってご主人のNILMALさんは日本語がとてもホームステイ先上手だし、居間にはレーザーカラオケがあって小学生くらいの息子さんが『津軽海峡冬景色』を熱唱してくれる程の日本びいき。滞在中、たまたま同じ期間この家にホームステイしていた旅行者と夕食をとる機会があり、そのときも息子さんはさながらディナーショーのように次々と日本の曲を歌ってくれ、いったい自分がどこにいるのか分からなくなってきた頃に音楽がインドのものに変わって奥さんお手製のお弁当まだ小さい娘さんも参戦。インド映画で見るような激しいダンスを二人で踊ってくれて、そうだインドに来てるんだったと目がさめたのであった。
ここに長期滞在してマザーテレサの家へボランティアに通う人も結構多いらしい。
ホテルのようなタイプの快適さはないけれど、なによりリラックスできるし奥さんの手料理も抜群においしい。全部ホームステイだと疲れてしまうけれど、いくつかまわるうちの1都市くらいは組み込んでみると楽しいと思う。

マザーテレサの家
マザーテレサのお墓『愛の反対は憎しみではなく、無関心である』
インドの写真展で出会ったマザーテレサのこの言葉は私に強烈な衝撃をもたらした。私は無宗教だけれど、この言葉は宗教や人種に関係なく心に響いてきた。それ以来、一度は訪れてみたいと思っていたマザーテレサの家。
2日目翌朝6時にはすでにマザーテレサの家の中心施設であるマザーハウスで礼拝に参加していた。
マザーテレサの家でボランティアを希望する人は事前に登録するのではなく、朝直接マザーハウスに行って登録し、仕事を割り当ててもらう。
私は人が足りないDAYADANという、障害を持った孤児の施設に配属になった。
余談だけれど初めてインドに行く人はカルカッタINを避ける事が多い。
カルカッタはあまりにも混沌としていて豊かな日本から来た、まだ心の準備の出来ていない旅行者に『これがインドだぞー!どうだー!』と言った感じを押し付けまくってくるからだ。
初めてのインド。しかもカルカッタIN。着いた翌日から朝5時起き。
この条件だけでもぐったりなのに午前11時ごろには子供のオムツを替え、泣きじゃくる子をあやし、ごはんを食べさせていた子供に口の中のものを吐き飛ばされて頭からお米(ここでも食事はもちろんカレー)まみれになっていた。今度来るときはもっと時間に余裕を持ってこよう、とひそかに心に誓う。
それにしても私には福祉の経験がない。
歯を食いしばってごはんを食べるのを嫌がる子供達にどうにかして口を開かせたいのだけれどうまくいかない。やっと少量口の中に入ってもすぐ吐き出されてしまう。他の人を見ていると実にうまくひょいひょいとごはんを口に運んでいく。時間がきても私の手の上のお皿にはごはんがほとんど手つかずの状態で残っており、もういいですからと言われてしまったのでお皿洗いにまわった。

通常これらのボランティア施設は午前中いっぱいで一旦閉まり、午後3時ごろからまた参加したい人は行く事ができる。ほとんどの人が午前中しか来ないそうだが、私はたった一日しか時間がないので午後も参加することにした。
お昼ごはんを食べながら考えた。子供達が嫌がるからってごはんを食べさせなければ、自分で食事をとれないこの子達は飢えてしまう。無理やりやったらかわいそうなんて甘いこと考えてるなら最初から来るな、と自分を叱咤しもう一度施設に向う。

話に聞いた通りぐっと人数が減っていた。それでももちろん子供の数は同じなので足を引っ張らないようにしなければ、とエプロンをしめる。あっという間に夕食の時間だ。
食べてもらうにはなにかコツがあるはずだ。他の人の手元をよく観察する。真似をしてやってみる。うまくいかない。またよく観察してやってみる。何度も繰り返すうち、やっと食べてくれた。ああこういうことか、と続けていく。手元のお皿がどんどん軽くなり、とうとう一皿全部食べさせることが出来た。
それでもやっぱり食事の時間全部かかってやっと私が1人に食べさせたのに対し、他の人はその間5~6人に食事をとらせていた。
食器を片付けていると、午前中出来ない私にあきれてもういいです、と言った人が来て「どうでした?」と聞いてくれる。「やっと一人だけ食べさせられましたよ。」と言うと「一人食べさせられれば十分ですよ」と言ってくれた。
単純で申し訳ないけれどその言葉で感動し、あぁこれぞウルルン滞在記という感じであった。

世界一大きい木
突然だけれど世界一大きい木ってどんな木だか知ってますか?
私は例のCMの『この木なんの木』だと思ってました。違うんです、ここカルカッタにある全然別の木なんです。

ガイドさんに、カルカッタに世界最大の木があると聞いて「行きたい行きたい行きたい」と連発して連れて行ってもらった。
カルカッタ市内から車を走らせる事30分~40分。ボタニカル・ガーデンという植物園に到着した。許可を取れば公園の奥の森まで車で入ることができる。
051.jpg

「これです。」とガイドさん。
「これってどれよ?」と私。
ガイドさんが指差すのはどう見ても森。
「これ全部が1本の木なんです。」

そう、世界最大の木とはこの森のようなバニヤンツリー(日本語だと菩提樹)の事だったのだ。
1本の木といってもはじめの根がひとつということで、幹がひとつと言うわけじゃない。
だからぱっと見てもこれが一本の木だとは分かりにくい。
なんと円周420M、280本の根を持つというから驚き。

現地の人たちが木陰でお弁当(もちろんカレー)を食べていたり子供を遊ばせていたりしてここがあの騒がしいカルカッタだということを忘れてしまうのどかさが漂っている。
これ以外には特に見所のないところだけれどカルカッタの喧騒に疲れたら訪れてみるといいかもしれない。カルカッタにはカーリー寺院やヴィクトリア記念館など、いろいろ見どころがあるけれど私はここが一番面白かった。

ブッタガヤ
カルカッタから列車に揺られる事7時間、時間変更があったために夜中の3時頃ガヤに到着。ここから仏教徒の聖地であるブッタガヤまでは車で20~30分ほど。


ガイドさんが迎えにきているはずのドライバーさんを探しに行っている間、構内は人がたくさんいてあぶないからと、駅の入り口でガイドブックを読みながら待っていた。そろそろかなとふと目を上げると、いつの間にか周りに人だかりが。そう、私を見るための人だかりなのであった。しかもなぜか全員男の人。
女性一人でイスラム圏などを旅行しているとよくある事だけれど、夜中の3時に暗闇からたくさんの目に見つめられていると怖いというよりも眠気と疲れで「なに見てんのよ!」と逆にけんかを売りたくなってきた。ちょうどガイドさんがドライバーさんを連れてきてくれ、周囲の「行っちゃうのぉ?」という視線を尻目にホテルへと向かう。
数時間部屋で休み、朝食をとってブッダガヤ観光へ。ブッタが苦行を行った前正覚山、ネーランジャラー川、スジャータの村とまわって行く。仏教といえば手塚治虫の『ブッタ』しか思いつかない私でさえ、あぁここかー、としみじみとしてしまう。前正覚山へ行く途中の道には民家が建ち並び、イメージするインドの田舎の村といった感じでのどかなムード満点だ。
夕方になりブッタが悟りを得た、ブッタガヤのハイライトとも言うべきマハーボディ寺院へ行った。毎日夕方になると各国から集まった仏教徒たちが寺院の周りでお祈りをはじめる。私も一緒になって座り込み、目を閉じる。日が落ち始めて暑さも落ち着き、虫の声とお線香の香りに囲まれていると幼い頃に田舎の祖母の家で過ごした夏の日の思い出がよみがえるようだった。
宿泊していたスジャータホテルで夕食をとっていると、デザートです、となにやら白いものが入った器が出てきた。何かと思って聞くと乳粥。ブッタが断食をしていたときに村の娘スジャータが差し入れたものだ。
温かくて甘くって、断食直後には最適の食べ物だねぇ、なんてガイドさんと二人で微笑んでしまった。
 

ベナレス

テレビや雑誌でよく見るインドの風景といえばアグラのタージマハールの次にこのベナレスの沐浴風景だろう。
母なるガンジス河に身を浸し清めようとベナレスには毎日たくさんの巡礼者たちがやってくる。ベナレスの人口が150万人なのに対して巡礼者が120万人も来ているのだとガイドさんが言っていた。
夜明け前、またもや眠い目をこすりながらガートと呼ばれる沐浴場を見学しに行った。

ガート周辺は早朝にもかかわらずたくさんの人でごった返している。
火をつけて流すと願いがかなうというお花やろうそくを持った小皿に火を灯し、真っ暗なガンジス河に流す。
これがあの有名な沐浴風景かー、とボートに乗って水上から見学し、途中の沐浴場で降りてガイドさんに荷物を預ける。
そう、ここまで来たら沐浴するでしょ、と思ってホテルからバスタオルを持ってきておいたのだ。
着替える場所もないのでつるつるとすべる階段に注意しながら着ていた服のまま入ってしまう。
近くでは死体の火葬場もあるし洗濯してる人もいたりして汚そうなイメージだったけれど水は意外と透き通っていてきれい。
ただ日中は40度近くなる気温も明け方はかなり冷えるので水もひんやりとしていて、気持ちいいを通り越して寒かった。
ヒンドゥー教徒じゃないから私の数々の罪(なんだかたくさんある気がする)は清められなかったかもしれない。でも実際入って全身を河に浸してみるとなぜこの河が母なる河と呼ばれるのか、なぜ信仰の対象となったのかがほんの少しだけ分かったような気がした。

ガートガート

旅を終えて振り返ってみると、インドには実にたくさんの宗教が存在している事に気付く。
マザーテレサの家ではキリスト教の礼拝が行われ、ブッタガヤには各国の仏教寺院が建ち並び、ベナレスにはヒンドゥー教徒が毎日各地から集まってくる。もちろん他にもイスラム教やジャイナ教の寺院なんかもあってそれぞれの個性を発揮している。
インドがなんだかごちゃごちゃしていて楽しいのは、ばらばらでありながらインドの混沌とした雰囲気に溶け込んでいるこの様々な宗教のせいじゃないかと思う。

インドに関する本やイメージや格言なんかはたくさんある。
ついそれに惑わされて固定観念みたいなものがある人もいるだろうけれど、自分の目で実際に見て、それぞれのインドを体で感じて欲しい。

岡坂 美紗子
2003年3・4月

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