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憧れのバーミアン遺跡 でもそこにあったのは…[2003年11月30日]

出発予定は10/17。予定出発時間の2時間前の13:00頃成田空港到着。
早速チェックインの手続きのためカウンターに並ぼうとしたそのとき目に入ったものは、 「出発遅延」のインフォメーション。さらには出発が翌日になるとのこと。
航空会社(パキスタン航空)と掛け合い他の航空会社への振替を要望するが、あえなく却下。仕方なく今日のところは航空会社が用意したホテルへ向かう。
家を出るとき気合を入れ「いざアフガニスタンへ!!」と意気込んできたものの、 すでに空港で意気消沈。まあ、こんなこともあるだろうとあきらめてホテルへ。
明日へ? 備えるために…
が、なんと翌日(10/18)もパキスタンのイスラマバード空港が閉鎖されていた為(何かパキスタンのお偉いさんが使用するとのことで、1日中閉鎖されていたらしい)出発できず。
何もないエアポート近くのホテルで過ごす丸2日間はアフガニスタンへの思いと裏腹に退屈でしょうがない。がしかし、何があるかわからないアフガニスタンへ行くのにこんなことでイライラしてもしょうがない。出発まで仕事が忙しかったご褒美に神様がくれた休暇だと思い、のんびりさせてもらった。
但し、もし明日もダメなら、「神様が行くな!」と言っていると思い今回のアフガニスタン行きは断念しようと思った。
*現在パキスタンへ行くルートとして考えられるものはいくつかあるのだが、パキスタンのペシャワ-ルからアフガニスタンとの国境カイバル峠を陸路で越えるのが確実であろう。パキスタンも含め他国から航空便があるが、スケジュールが不安定のため フライトキャンセルなど読めない不安がある

当初の出発予定から3日目(10/19)、朝起きるとメッセージが何も入っていない(ホテルチェックイン後、フライトキャンセルやフライト予定のインフォメーションが部屋のドアの下に入れられていた、3食分のミールクーポンを沿えて)。
今日は予定通り飛ぶかもしれない。シャワーを浴び、気合いを入れ直して空港へ。
空港へ行きフライトスケジュールボードに目をやると、出発時間が表示されている。
2日遅れの出発は15:00。搭乗すると例のごとくコーランが機内に流れいやがおうにも手を合わせてしまう。これでやっとアフガニスタンへの道が開けた思いでもあった。
「いろんな意味でアフガニスタンはやはり遠いのかなあ」
まず、第一歩として降り立ったのはパキスタンのイスラマバード。
パキスタンへは以前来ているが、最近オープンしたばかりの新しい空港は近代的で、らしくない感じがする。またパキスタンは思っていたよりも涼しい。
夏服を基本に持ってきていたので、失敗したかもしれない。
と思いつつ、ガイドさんの出向えを受けホテルへ。
以前来た時にお世話になった旅行社の社長さんが待っていてくれた。
久しぶりの出会いに感激しつつも、明日の出発が早いため明日からのスケジュールを確認しただけで部屋に入った。ベットに入ったのは夜中02:00頃であった。

*当初の予定
10/17 成田/イスラマバード イスラマバード泊
10/18 イスラマバード /(陸路)/ペシャワ-ル ペシャワ-ル泊
10/19 ペシャワ-ル/(陸路国境越え)/ジャララバ-ド ジャララバ-ド泊
10/20 ジャララバ-ド/(陸路)/カブール カブール泊

それが、以下のようにアフガニスタンへの旅が始まる
20日。起床05:00。06:00出発のため準備をする。
睡眠不足のはずなのに目覚めがいい。すでに体がアフガニスタンに向け緊張しているのか?
ペシャワ-ルへは約2時間(現在、高速道路を作っているためさらに時短)。
カイバル峠を通過するためのパーミッション(許可証)を取得するため役所へ。
取得に約1時間(申請するため、予め日本でパスポート、ビザのコピーを数枚用意。現地でコピー屋を探すのに苦労する。これに大分時間がかかる。実際に私もそうでした)。
その後、警官をピックアップ、同乗してカイバル峠へ向かう。
11:00トライバルテリトリー付近。やっぱり怪しい雰囲気。
以前来た時はアフガニスタンの難民キャンプがたくさんあったのに、現在では数えるくらいしかない。12:00国境。国境の村は賑わっている。

カイバル峠国境(パキスタン側)まずは出国手続きへ。日本人はほとんどノーチェックだが、同行するパキスタン人のガイドのチェックに多少時間がかかる。約30分。
今度は歩いて入国審査の小屋へ。いよいよ緊張してきた。銃を構えた警官の数が増えている。12:45徒歩で国境越え。あれ? 何も変わらない。緊張していたのがなんだったのか?
何のチェックもなく、すんなり通過してしまった。緊張して損した。
ちなみにアフガニスタンは12:15。パキスタンよりマイナス30分の時差がある。
ここからタクシーを拾いジャララバードへ向かう。
タリバンによって作られたジャララバードへの舗装された道は、今ではスピード狂のドライバーが運転することによりジェットコースターと化す(今回お願いしたタクシーだけではなく、今後何度となく舗装された道、悪路問わずにレース場のごとき猛スピードで、かっ飛ばしている)。
ジャララバードへの道の両脇は、いまだ地雷が埋まっており、それを示す看板がある。
ヤギや牛は知ってかしらずか、放牧され自由に走り回っているが・・・
想像していた荒涼とした風景とは違い、緑豊かなのどかな風景が続いている。
ただし、途中目にする小さな村にある家々は、土だけもしくは日干し煉瓦を積み重ねただけの、以前パキスタンの難民キャンプで見たのと同じものだった。
それでも、1時間くらい走ると風景は一変する。
木など一本ない裸の岩山やがれきの砂漠。やっと想像していたアフガニスタンのイメージが出てきた。その中に、昔人が住んでいたであろう家が遺跡のように点在している。
そして、しばらくいくとまた緑の多い風景に変わる。
アフガニスタン第2の都市ジャララバードが近づいてきたのである。
国境より約1時間15分(通常だと2時間以上はかかるところ、いかに猛スピードで、走り抜けてきたかがわかるであろう)。
町に入り驚いたのは、店には物が豊富にあること。市場も活気付いている。
本来宿泊するはずであったスピンガ-ホテルにて昼食。
アフガニスタンでの初めての食事は、スパイスが少なく日本風に言えば肉じゃがみたいなもの。今回一番心配していた(命より何よりも)食事が、この調子ならどうにかなりそうだ。一応日本から食料はふんだんに持ってきているが。
また、このスピンガ-ホテルにはビール(本物のハイネケン)が売られている。US$4。
ギンギンに冷えてもいる。ホテルのスタッフに何でビールがあるのか尋ねると、アルコールが入っているとは思っていなかったらしい。
14:30首都カブールに向け出発。ここからが過酷なそして脳みそがとろけてしまいそうな陸路の旅が始まるのである。

カブールへの道ジャララバードを出発してからの約20kmとカブールの手前約30kmは舗装されているが、 間の約100kmは固い砂利道及びかつて舗装されていた穴だらけの道。
4WDのショックを吸収するはずの車でさえも、かなりの振動で疲れる。
景色もほとんど変わらない岩山の渓谷の間をボーッとしながら車窓を眺め走っていると、ふと気づくと何か(誰か?)を探している自分に気づく。
テレビで何度かみたことのある、あの風景が目の前にある。それが永遠と続くのだが「もしかしたらアイツが・・・」。そんな簡単に見つかったら今ごろはとも思う。

インターコンチネンタルホテル カブール19:00カブール到着。今日宿泊のインターコンチネンタルホテルにチェックイン。
(今ではあのチェーン店のインターコンチネンタルではないが、かつてはそうであった名残が部屋の中の備品などにある。)
今日の移動は長かった。でもこれで当初の予定に追いついたのである。
夕食の後、20:30頃にはベットの中にいた。
21日。05:45起床。ベランダに出てみるとかなり寒い。

道端にこんな物が…またここで自分の勉強不足に腹が立つ。ただ、冷たい空気の中見える風景は、かつてここで空爆あったアノ国であるということを忘れてしまうほど平穏である。
今日の目的地は今回のメインのバーミアンである。
バーミアンまで約170km。ホテルを07:00出発する。
途中、タリバンの市場にて休憩。アフガニスタンでは緑茶が主流で、紅茶もあるがほとんどの人が緑茶を飲む。砂糖は入れるが…。今回行く中で一番標高の高いネオ峠(約2800m)を通過。いくつかの要塞のような見晴台が見える。

途中レストラン? にて11:00ドライブイン(みたいな)ところで早めの昼食(標高約2500m)。
衛生的に問題がありそうな(ハエは飛び回るは、床に直接食べ物は置かれるは、であるがそれを心配する方はアフガニスタンには行けません。今後ずっとそんなところばかりで食事をせざるを得ないのだから)レストランで何が出されるのか心配であったが、羊肉のミンチボールのカレー(カレーといっても辛さや香ようこそバーミアンへ辛料のきつさは全くない)、これも肉じゃがっぽく、いままで海外で(特にイスラム圏で)食事に困っていた私でさえも全く問題ない、どころか実にウマイ。荷物の半分も食料を詰め込んできたことに後悔する。
標高の高いこの辺では、小麦・ジャガイモを作っている。水も豊富にある。
途中休憩も入れ、約7時間30分かかり(14:30)バーミアン到着。
数百メートルしかないメインストリートのほぼ中央に建つ、バーミアンに現在あるザ・ホックホテル バーミアン3軒の中で一番良いとされる「ザホックホテル&ゲストハウス」にお世話になる。部屋数は9部屋のみ。決して設備の整ったホテルではないが(下記にて設備説明)、ここのオーナーがアフガニスタン人らしくない、実にジェントルな人。この人に合えただけでも来たかいがあったと言っても過言ではないくらいの、ホスピタリティー豊かな人である。
*建物は2階建て+屋上。部屋には病院でよく見るベットが2つ。バスタオルあり。
外出時用の錠前。共同トイレ&シャワー、シャワーは時間によるが頼めばぬるま湯のシャワー、朝は水シャワーと思ったほうが良い。非常に寒いが。トイレは地元式(和式)のぼっとんトイレでちょっと臭いあり。リビングにはケーブル付のテレビが1台あり、NHKまで見ることができる。自家発電のため消灯の時間が決められているので懐中電灯は必需品。
レストランも併設されており、地元では一番おいしいと評判。
今日はこれ以上予定がなく(悪路をひたすら走りつづけたため疲労困憊)、夕食まで昼寝。
夕食は評判どおり味がよく、何度も言うが重い思いをして持ってきた食料に後悔。
22:00の消灯を待たずに就寝。
22日。06:30起床。外に出てみる。これも後悔のひとつでかなり寒い。ツララまでできている。ジーンズとTシャツ&カッターシャツだけでは耐えられる寒さではない。
しかし、部屋は暖房器具がないにもかかわらず寒くない。不思議だ。
この寒さではシャワーを浴びる気にもなれず、朝食まで部屋で過ごす。
07:30から朝食。こんなところでアメリカンブレックファースト。
パンの代わりに暖かいナン、オムレツ、チーズ、コーヒー、紅茶、ジャム、蜂蜜。
おいしいとはいえ朝昼晩とも地元料理ばかりではちょっとつらいので安心。
08:00出発。今日の目的地は標高約2800mにある湖「バンデアミール」。

バーミアン石窟の前にてその前に、ここではじめてバーミアンの石窟を見た。
やはり石仏がないと物足りなさはあるものの、湖に行く途中通過するだけではあったが、どうしても見たかったバーミアン石窟であっただけに感極まるものがある。もう少しはやく来れば良かったという後悔もちょっとあるが。
その後悔を払拭したのが「バンデアミール」である。
アフガニスタンに来る計画が出る前、テレビで見た真バンデアミール1っ青な湖が何でこんなところにあるのだろうと感動し、いつかはこの目で見てみたいと思っていた。こんなに早く実現できるとは思っていなかったので、アフガニスタンの計画が出たときには、真っ先に湖が見たいと思い行程の中に組み込んだ。
ここには5つの湖があり、一番大きな「バンデアミール」を始め「バンデエバック」「バンデズルフィカール」「バンデバニール」と歴代の王様の名前をつけた湖とバンデアミール2「バンデグラマーン」というお手伝いさんの名前をつけた湖がある。
テレビで見ていたほどの青さはないものの、透明度は高くそれでいて紺碧の色。
これが、旅行の醍醐味であり、なんとも言えない感動が全身に電気を走らせる。
テレビで見ていた穏やかな水辺の湖が今自分の目に前にあるのである。
その一番大きな湖の邉で昼食を取る。これもまたなんとも言い難い気分になる。
食後に緑茶を飲みながら、しばし感動にふける。
湖のほとりには遺跡とも思えるモスクがあり、これもまたいい。
また、ボート遊びもできるのだが、水深が深いのに救命道具も何もない小さな手漕ぎボートにはちょっと乗る気にはなれなかった。
13:15出発。帰り道に温泉が小川のように流れ出ている小さな村に立寄ってみた。
かなりぬるく入ることはできそうもないが、山から流れてくる冷水に比べれば足を浸からせるくらいはできる。15:30ホテル着。アフガニスタンの旅では悪路を走るため、移動だけで疲れる。
夕食の時間まで昼寝。
実は夕食は3回ともほぼ同じメニューなのだが、鶏肉と野菜をしょうゆみたいなもので煮込んだ日本風の味付けでご飯がすすむ。米もパサパサしてはいるものの臭いもなく美味。
これにスープと生野菜のサラダともちろん緑茶である。
23日。06:00起床。毎晩寝るのが早いため朝のお目覚めもパッチリ。
まだ暗いうちから屋上に上がり日の出を待つ。
誰もいない屋上で肌を刺す寒さに耐えながら日の出を待っているのだが、気分はいい。
遠いながらメインの3つの石窟が見える。赤く染まった石窟はまた違った感動を呼ぶ。
今日は学校を訪問する。08:00出発。まずは女の子と小さい男女の子供が通う学校へ。
UNによって作られたまだ新しい建物は想像していた以上に立派で、目的の少量の文房具を配るのも恥ずかしくなってしまった。というのも最少限の文房具はユニセフにより寄付されており充分でないにしても、足りているとのことである。何せ学校の先生が持っているバッグは本物のプラダなのだから・・・。

バーミアンの男子の学校その後に男の子の通う学校に行った。こちらの校舎は古く、教室が足りていないためにユニセフが用意した屋外テントにて授業をしている。こちらも文房具は足りているようで、校長先生に何が足りないか、何が欲しいのか尋ねるとコンピューターシステムとのこと。
時代はやはりそうなのである。
今回のボランティアは本当に自己満足(満足していないが)だけで終わってしまった。
パキスタンのアフガニスタン難民キャンプとは違い、学校として確立しているため想像していたものとかなり違っていた。ただ、その気持ちは今後も持ち続けたいと思う。
世界中にはまだまだ教育を受けたくて設けられない子供たちがいるのだから。
午後からは村の青年たちを集めて(といっても自分を入れて10人)、昔とった杵柄ということでサッカーをやった。
久しぶりに運動らしい運動と、高地のため息がすぐに上がってしまう。
やはり普段から体を動かしていないと気持ちばかり焦ってしまいダメだなあ。
その後、地元で「ドラゴン」と呼ばれる奇石を見に行く。
グランドキャニオンを想わせる渓谷の中にそれはあった。
これにまつわる伝説もいくつかあるらしいが、ちょっと忘れてしまった。
皆さんが行かれた際に聞いてきてください。
ホテルから片道30分くらいのところにあり、4WDの車さえあれば(普通車だとまず無理でしょう)気軽に行くことができる。途中には難民のテントもある。
24日。06:30起床。やっぱり寒い。顔を洗うのにも気合が必要。
08:00出発。来た道と違うルートでカブールへ戻る。景色はそれほど変わらないが、こちらの方が民家が多い。荒涼とした風景の中にも自然の恩恵を受け、紅葉真っ只中のポプラ並木や、豊富な水に恵まれた土地のため充実している畑も見られる。
14:00カブール県に入る。長かった悪路よりひとまず脱出。
道路の両脇にはかつてあったであろう土壁(日干し煉瓦)の家々はなく、荒野となりわずかに残った家も砲弾(銃弾)の跡が生々しく残り、また、道端には多く戦車等の残骸が放置されている。かつてテレビで見たアノ生々しい映像がよみがえってくる。
16:00カブールの宿泊先「インターコンチネンタルホテル」に到着。
早速、久しぶりのちゃんとしたホットシャワー&バスタブにつかる。
アフガニスタン料理にも飽きてきたので、イタリアンレストラン「POPO LANO」にて夕食をとることにした。アフガニスタンらしからぬ正統派のピザでありパスタである。
25日。出発前に簡単な市内観光をした。バザールやモスク、小高い丘の上からの市内の全景を見る。中国みたいに自転車が幅を利かせて車道を走る。市内の周辺(外周)には、空爆の跡が多数あり、今でも戦車や装甲車が街中を走る。又地雷の撤去もしている。
基地が多いため、いたるところで外国人の軍人を目にする。
10:30ジャララバードへ向け出発。と市内を出るかでないかのところでトラブル発生。
走っている車の左後輪が突然はずれ、タイヤだけが転がっていく。車は急停車、時速100km近くで走っていたため、テロなどではない違った意味で命を落とすところだった。1時間ほどして再出発したが、今度は右後部のスプリングが折れる。今度は安全運転をしていたのでスピードは出ていなかったものの、ひやひやものである。
これは致命的と思われた故障も、ドライバーの苦肉の策の応急処置で再々出発。
時速30kmの超安全運転(ジャララバードの手前50kmくらいの地点)。

スピンガーホテル ジャララバードアフガニスタンは明日10/26からラマダーンに入ると今朝発表があった(ちなみにパキスタンは10/27からとのこと)。昨夜何か悪いことでもしたのではないか? と ドライバーがみんなに責められる(ドライバーの住まいはカブール。4日ぶりに戻ってきたわけだからなあ。バミアンにいるときから早くカブールに戻りたいとも言っていたし)。
16:00に予定より大幅に遅れて到着。
スピンガ-ホテルはあまりきれいとはいえないが、これしかないのでしょうがない。
ジャララバードで「No.1」ということだし。

ウサマビンラディンの家の跡26日。 07:30発でウサマハウスに向かう。そうここジャララバードには国際指名手配中のテロリスト、ウサマビンラディンの家がある。ホテルより約30分。メインストリートを横道に入り(悪路)、市内中心よりやや離れた場所にあった。もちろん今は誰も住んでいないし、崩れているのではっきりとはわからないが、かつては大豪邸であったのが伺い知ることができる。1辺が約50~60mで高い土壁に囲まれた中には、ゲストルームだけでも20部屋くらいあったと思われ、敷地内には100人は裕に入ることはできそうなモスクまである。次に向かったのはハッダの遺跡。広い荒野の中にポツンとたたずむ遺跡は、だいぶ崩れている。土だけで作られたそれは、パキスタンのジュリアン遺跡とほぼ同じ時代に作られたとのことだが、つくりもジュリアンに似ている。ただジュリアンと違って、保護されているわけではないので崩れる一方のちょっとがっかりする遺跡だった。
地元の人が言うにはトラボラが面白いであろうとのことだが、現地の人でも今は行きたがらないちょっと危ないところらしい。
何があるかというと、CNNなどで有名になった洞窟要塞で、ウサマビンラディンが隠れ住んでいた、山の中の洞窟である。今も残党がいるかもしれないので行きたくないらしい。
ジャララバードのような小さい町でも渋滞に悩んでいるらしい。
パキスタンの影響でオートリクシャが非常に多くなり、車道を我が者顔で走っている。
10:30パキスタンに向かう。
今日からラマダーンに入ったため(アフガニスタン)、もしかしたら国境のイミグレーションが休みかもしれない。といっていたが、何も問題なく国境越え。ペシャワ-ルに14:30着。
市内にて中華料理の昼食をとった後にイスラマバードへ向かった。
夕食も中華料理の夕食を取って空港へ。行きにあんなことがあったのでちょっと不安があったが無事出発。帰国の途についた。
情報が少ないアフガニスタンで、今回はバーミアンとカブールを訪れたが、現地の人はヘラートやマザリシャリフも良いと言う。また機会があれば行ってみたい国のひとつに加えたい。テレビや新聞・雑誌で言われているような危険な国ではない。出発前は周りの人に何で今アフガニスタンに行かなくてはならないのか、反対にもあったが、実際に行ってみると全く問題ないのである。
また、パキスタンやアフガニスタンの人々は9.11のアノ忌まわしい事件はウサマビンラディンやアルカイダの仕業ではないと信じている(アメリカの自作自演説もあるくらいである)。ましてや、タリバンは国の治安を安定させていたとも言っている。
一方の意見だけを鵜呑みにしてはいけないのである。
 アフガニスタン全土で日本に触れることがある。それはアフガニスタン国内を走っている90%の車が日本からの輸入された中古車で、車体にはかつての会社・企業の名前が入っているのをよく目にする。それだけではないが、日本はアフガニスタンにとって(アフガニスタン人にとって)、重要な支援国家のひとつと認識しており、親日家の人も多い。
 魅力的な人々や魅惑的な遺跡・自然。
村人達の主な交通・運搬手段であるロバのように大きな荷物を背負いながら、それでもゆっくりとではあるが確実に前進している国、それがアフガニスタンなのである。

ぜひ皆さんもそんな魅力的なアフガニスタンに行ってください。
周りの雑音に惑わされることなく…

酒井 光浩
2003年10月

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