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隣り合う国の宗教と歴史を感じる旅 トルコ・ブルガリア・ルーマニア[2008年07月20日]

 今回私は9日間をかけてトルコ・ブルガリア・ルーマニアをまわりました。3カ国もまわるのでさらっと有名ところを巡って終わってしまうかなという予想でしたが、行ってみればバルカン半島の歴史を深く考えさせられる旅になりました。
まずはトルコで、イスタンブールを2日間で観光しました。関空からの夜便で、イスタンブール着は現地早朝。日曜日だったこともあって、市内は大変静かでした。ホテルで少し休んで観光に出発すると、非常にいい天気に恵まれ、東京と同じくらいで考えていた天候も、強い日差しに夏のような暑さを感じました。早速シュレイマニエモスクから観光をスタート。ガイドは日本語の上手なオカンさん( 男性です) 。本格的なイスラム教のモスクを見るのが初めてのため、青空に映えるタイルとモスクの姿の美しさに圧倒されます。特にアヤソフィアはギリシア正教の大本山であったにも関わらず、後にイスラム寺院に姿を変えたため、キリストとイスラム建築が混在する、不思議な雰囲気を持ったモスクでした。


見所が大体集中しているため、全て歩いてまわりました。その結果へとへとで、ガイドのオカンさんと、観光(お仕事)が終わったら、ビールを飲もう!ということになりました。事前に私がビールを好きだという話をしていたため、ブルーモスクの近くのオープンカフェで、早速トルコのビールをいただきました!晴れた日の午後、歩きつかれて飲むビールは最高です。

ガイドさんと別れて街をぷらぷらと1人で歩いていると、日本語で話しかけられることが多く、トルコの人たちの親日感を大変感じます。またトルコの観光地を巡っていると、一番感じるのはオスマントルコ帝国の誇りでしょうか。世界史上でも長い間世界の中心に君臨してきたという事実があるからでしょうか。自分の国に誇りを持っていて、自分の国、街が大好きであるということを感じます。ガイドのオカンさんも、生まれ育ったイスタンブールが大好きで、車が急激に増えて、渋滞がひどく住みにくくなってきているけれど、ここを出る気はまったくないと言っていました。


歴史がある美しい町並み、おいしい料理とおいしいビール、そしてあたたかい人たち。出発する前にトルコに行ったら、「親トルコ」になって帰ってくるよと言われていましたが、まさしくその通りになりました。ただ、最後にトルコを出るときに、空港でクレジットカードを無くし、パニックに陥るという失態をおかしてしまいました。すぐに停めたので、最悪の事態を防ぐ事はできました。次の国、ブルガリアについてからしばらくは心ここにあらずという状況でした。


ブルガリアでは現地旅行社の北さんとネリーさんご夫妻が、出迎えてくれました。イスタンブールから1時間ちょっとでおり立ったブルガリア、ソフィアの町並みは、ついさっきまでいたイスタンブールとは全く異なっていました。
イスタンブールはヨーロッパ風の町並みに近く、ソフィアはロシアの雰囲気を残しています。市内でガイドのマギーをピックアップし、ひとまずソフィア郊外のボヤナ教会という世界遺産の教会に向かいました。 

13世紀に描かれた「最後の晩餐」の壁画を目の前で見ることができます。外から見るとなんでもない 古い煉瓦の建物の中に、 一歩はいるとそこには鮮やかな壁画が残っていて圧巻です。 ソフィア市内に戻り、ランチを食べにホテル近くのレストランへ行きました。ついにブルガリア料理初体験です! 本当にブルガリアの人は毎食ヨーグルトを何かしらで食べるようです。生粋の大阪人である北さんも、ブルガリア生活が長いせいか、毎食ヨーグルトを食べるようです。ここで私がチャレンジしたのは、タラトールというヨーグルト仕立ての冷製スープ。暑い夏にはちょうどいい感じのさっぱりしたスープでおいしかったです。

午後は市内中心部を歩きながら観光しました。ソフィア市内で印象的だったのが、まずはアレクサンダル・ネフスキー寺院。
こちらは豪華なたたずまいのブルガリア正教の寺院で、中に入るとその美しさと荘厳な雰囲気に息を呑みます。
これとは対照的におとなしいたたずまいの煉瓦造りの半地下式の聖ペトカ地下教会は、オスマン朝の治世下に造られました。イスラムの勢力に弾圧されていた時代の名残を残す、キリスト教の教会です。今回の旅行で、ブルガリア国内のあちこちで、このイスラム統治時代の名残を感じることができました。そして、今まであまり現実として感じたことのない、バルカン半島の歴史というものを、ここに暮らす人たちとの交流の中で、勉強することができました。

翌日には、ソフィアから車で2時間半ほどの山の中にあるリラの僧院まで足を伸ばしました。欝蒼とした森の中の1本道をずーっと奥まで進むと、突如豪華な僧院が現れます。
ブルガリアにはこのように険しい山の中や、 断崖絶壁に僧院が点々と存在しています。何故町の中ではなく、 このようにひっそりと建っているかといえば、約500年にわたって続いた オスマン朝の支配下で、キリスト教を守るために、このような場所に多くの僧院が造られたのです。 
その中でも規模が大きく、非常に有名なのがこのリラの僧院。教会の外側にも内部にも、聖書の場面やそれぞれの時代の生活の様子が、色彩豊かに描かれています。四方を高い山に囲まれ、ひっそりとたたずむその姿は、非常に神聖で深い歴史を感じることができます。3時間ほどをかけてゆっくりと見学し、ブルガリアのキリスト教会の歴史の奥深さを学び、ソフィア市内へと戻りました。









今回ブルガリアを巡るにあたって、都市の見所だけでなく、田舎の街も巡ってアピールできるものを見つけるというのが、旅行のメインテーマの一つでした。ルーマニアとの国境の町ルセを目指して、ソフィアを後にしました。流れゆく車窓を楽しみながら、ひたすらブルガリアを東へ車を飛ばし、途中、現地旅行社のネリーさんの実家がある小さな村へ立ち寄りました。そこでは村の方たちが私を歓迎するために、伝統的な衣装や料理を用意して待っていてくれました。遠い異国からきた私をすごく温かく迎えてくれて、一人のおばさんが本当の孫のように、「よく来たね」というように頭をなでてくれたのです。温かい歓迎の踊りと歌、おいしいブルガリア伝統料理、そして何よりも村の人の笑顔に触れ、今回の旅が本当に心に残るものになりました。べたではありますが、やはり旅行の醍醐味は「人と人との触れ合い」だと感じます。


 





ブルガリア最後の宿泊は、ルーマニアとの国境の町ルセから車で1時間足らずのところにあるボジチェンという町の民宿(ゲストハウス)です。そこへ行くまでに中世の遺跡の町チェルベンと、世界遺産の岩窟の僧院イヴァノヴォを観光しました。イヴァノヴォもオスマン朝の治世下において、キリスト教信仰を守るために造られた断崖絶壁にある岩窟僧院です。色彩豊かに残る壁画が素晴らしく、世界遺産に指定されています。この時期オフシーズンであるため、事前に予約をしておかないと鍵を開けてもらって中に入ることができません。北さんが事前に連絡をとっていてくれていたので、イヴァノヴォの管理者の方が待っていてくれました。


すっかり夕方近くになって、やっとボジチェンの民宿に到着。若いお母さん、お父さん、2人の息子さん4人で暮らしながら、民宿を経営していて、この日の宿泊者は私ひとりだけでした。もうお腹もぺこぺこだったので、早速一緒に夕飯を作り、一緒に食事をとりました。お母さんは英語が話せないので、身振り手振りで料理を教えてもらい、 子供たちとも身振り手振りで一緒に遊び、 ほんの一晩でしたが、素敵な家族の一員に仲間入りすることができました。お父さんは英語が話せるので、いろんな話をお父さんから聞きました。もともとはルセに住んでいたけれど、田舎が大好きでボジチェンに引っ越してきたこと。お母さんと息子二人のことをすごく愛していて、家族と一緒に過ごす時間が長くとりたいということで、今の仕事を始めたということ。今の民宿は借りているので、近いうちに自分の民宿兼自宅を建てたいということ。そして息子さんの一番のお気に入りが、 日本のアニメの遊戯王だということ。お酒が好きで、今度は日本酒を飲んでみたいと思っているということ。私もお父さんもつたない英語で、一生懸命コミュニケーションをとって、 いろんな話をしました。豪華ホテルに泊まる旅もいいかもしれませんが、  こうして家族経営の民宿に泊まって、 現地の人たちと楽しいひとときを過ごすというのも、素晴らしい旅の思い出になるのだなと再認識しました。








 翌日にはルーマニアの首都、ブカレストまで行かないといけないため、早々にはボジチェンを出発し、ルセで一通り観光をし、陸路で国境を越えました。初めて陸路で国境を越えたのですが、川をはさんで国が違うという日本ではまったく考えられない状況に、車に乗りながら大興奮していました。ここでブルガリアの魅力をたっぷり経験させてくれた北さん、ネリーさん、そしてルセからドライバーをしてくれたミトゥコさんとお別れしました。
旅行の話や、仕事の話、日本とブルガリアの文化の違いなどなど、いろいろな話をして、ブルガリアという国のいろんな側面を垣間見ることができました。行程としてはトルコ、ブルガリア、ルーマニアを9日間で駆け抜けてきましたが、振り返ってみると多くの人との出会いがあり、そしてその中で3カ国のつながりの歴史を学ぶことができました。日本にいては、実感として知りえることのなかった、トルコとブルガリアの関係。自分の中では、日本と韓国の歴史にシンクロして感じるところもあったので、今後の2国の関係がよりよいものになればと願うばかりです。

2008年4月 倉田

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