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人種のるつぼ ~ウズベキスタン~[2010年06月23日]


「人種のるつぼ」と言えば以前はアメリカを象徴する言葉であった。しかしアメリカは多種多様な人種が存在するが、決して溶け合うことはないということから「人種のサラダボウル」と言われるようになっている。ウズベキスタンではまさに、多種多様な人種、民族が混在し混ざり合っていると言える。街を歩けばわかるが、本当にいろんな顔の人がいるとても不思議な国だ。ロシア風、中国風、インド風、ヨーロッパ風、日本風・・・

ユーラシア大陸の真ん中に位置し、シルクロードの中継地点でもあり、歴史上あらゆる勢力から圧力を受けてきた国だけに、まさに「人種のるつぼ」という表現が合うのではないか。

訪れた順に、街と人の印象を綴っていこうと思う。

<タシケント>

珍しく寒かった5月の日本から内陸都市タシケントに降り立つと、そこは太陽の光と青空で満ち溢れていた。とはいってもまだ夜は冷え込むので、1日の気温差には注意が必要である。日本より緯度が高いので、20時頃まで明るい。タシケントは想像していた以上に都会で、驚いたというのが第一印象だ。バス、トラム、車が多く走り、タシケントだけには地下鉄もある。街には大きなショッピングモールもあれば、近代的なショッピングストリートもあるが、モスクや現在も利用されているメドレセ(神学校)もある。豪華ホテルも増え、おもにヨーロッパからの観光客が多い。ロシアの影響が強かったせいか、官公庁などの建物は大きく重厚なたたずまいを見せている。
チョルスー・バザールを覗くと、香辛料、ドライフルーツ、肉、野菜、生活雑貨、お土産物など、ここで買えないものはないと言えるほどの商品で溢れ、またたくさんの商人とお客さんで賑わっていた。この様子を見るだけで、遥か昔から、シルクロードの中継地として多くの商人で賑わっていたのだということを実感することができる。

<サマルカンド>

タシケントから列車でおよそ4時間。駅に着いた途端、強い太陽の日差しに出迎えられた。鉄道駅から街の中心部までは車でおよそ20分~30分程度。ここで待っていたドライバーさんは、レオナルド・ディカプリオ(イタリア系)にそっくりで、聞くところによるとロシア系のウズベク人だそうだ。

街中を走っていると、現地の女性の華やかな服装に目がいく。大都会タシケントではなかなか見られなかった、ウズベキスタンの女性が着る伝統的なワンピースを着ている人がいきなり増えた。タシケントでは、現代的な服装の女性ばかりであったが(特に若い人)、サマルカンドの女性は若い人や学生でもこのワンピースを着てた。

サマルカンドでの観光の見所は、グリ・アミール廟、レギスタン広場、ビビハニム・モスク、そして、シャーヒズィンダ廟群である。「青の都」「東方の真珠」などとの異名がまさに似合う、美しい青のタイルで装飾された建物と、そして青い空。
その調和といったら、まさに見事である。
また観光地を歩いていると、よくよく声をかけられる。すれ違うたびに「こんにちは!」と日本語で声をかけられ、写真を一緒に撮ってもらうのも好意的で、逆に地元の人に「一緒に写真を撮ってくれ」と頼まれたくらいであった。
旅行の魅力のうちの一つには「食」も数えられる。「羊肉が多いのかな・・」という漠然とした不安を抱えて出発したものの、実際には羊肉はそんなに食べないという事実があるくらいで、食事には全く困ることはない。内陸国だけに肉食が中心だが、牛肉のほうが圧倒的に食されている。ウズベキスタン料理の中でも私が一番気に入ったのはプロフである。
お肉とニンジンが盛り付けられた炒め飯で、そのままだと少し油っぽいので、前菜のトマトのサラダを混ぜて食べる。これがまたおいしい!味の好みは人それぞれかもしれないが、ウズベキスタンに訪れたのであれば、是非一度はご賞味あれ。

<ブハラ>

サマルカンドから列車で3時間。市内へは車で30分くらいで到着する。近代的な新市街を抜けるとそこには歴史的な建物が立ち並ぶ旧市街が広がる。広がるといっても小さな街なので、1日もあれば十分まわれてしまう。ホテルはラビハウズ(オアシスの池)のすぐ近くだったため、観光客と地元の人で賑やかで、散歩するにも非常に便利であった。ブハラに宿泊するのであれば、ぜひとも旧市街に泊まりたいものだ。緑が多く、青いタイルの瑞々しい感じのするサマルカンドとは異なり、茶色のモスク、メドレセが多いブハラは、まさに砂漠の中にある交易地の街という感じであった。日中はまだ暑さがひかないので、少しホテルで休憩してから観光に向かう。タキというバザールでは様々な民芸品、骨董品が売られていて、歩き回っているといろんなものに遭遇する。絨毯、木細工、手作りハサミ、スザニ、アトラス、陶器などなど・・・ ウズベキスタンのお土産は是非ここで揃えたいところだ。模様の細かい刺繍のスザニや、美しい装飾の入った陶器など、時間をかけていると目移りしてしまうが、お気に入りのものが見つかる。
またブハラには数多くのメドレセが存在し、現在は神学校としては利用されていないが、中に入ると多くのお土産物屋さんで賑わっている。一つの楽器屋さんの目の前を通ると、聞き覚えのある曲が流れてきた。「何かな」と思って聞いていると日本の「島唄」であった。話を聞いてみると、有名な演奏家の人らしく日本でも演奏会に来たことがあるそうだ。そこで「島唄」を演奏したと言っていた。ウズベキスタンの楽器で演奏された日本の音楽は、また独特な魅力をもち、旅の疲れを癒してくれた。

歩き疲れ、ラビハウズのまわりのカフェでゆっくり休んでいると、地元の学生達が集まってきて、「こんにちは!」と声をかけられた。
ガイドさんに聞くところによると、この日はちょうど卒業式で、学生達は卒業式を終えて街を歩きまわり、レストランで食事をして、1日楽しく過ごすのだそうだ。卒業生のしるしであるタスキや、花飾りをつけた学生で賑わう中、1人の卒業生が何かしてほしいという感じでガイドさんに話しかけていた。どうやら記念に日本語で何か書いてほしいということだった。時間も十分にあり、暇をもてあましていた我々は、とりあえず「卒業おめでとう」と書いてあげることにした。すると我も我もと次々と学生達が集まってきて、30~40分間くらいサイン会(笑)が続いた。何人かの学生に「ありがとう」という言葉を教えると、不思議と1回目の発音できれいな「ありがとう」が言えた。多種多様な民族と言語が交差するこの国の人たちは、非常に耳がよく、何ヶ国語が話せる人も多いのだそうだ。ガイドさんはウズベク語、タジク語、ロシア語、英語、日本語を話すことができ、まさしく「文明の十字路」であると実感する。

<ヒヴァ>

今回の行程では、ブハラからヒヴァまでを車で移動した。距離があり、ひたすら砂漠(ステップに近い)を走り抜けること6時間。急に緑の多い街並みが広がり、しばらく行くとヒヴァの城壁の街が姿を現す。イチャン・カラという城壁に囲まれた街は、世界遺産として保存され、一気にタイムスリップしたような気分になる。
私はここでどうしても泊まりたかったホテルがあった。

イチャン・カラの中にある、メドレセを改造したホテル「オリエント・スター」だ。西門のすぐ横にあり、まさに世界遺産の中に泊まる!夜暗くなってからでも、城壁内をゆっくり散歩することができるので、思う存分ヒヴァの魅力を楽しむことができる。神学校を改装しているので、お部屋自体は狭く、2階に上がる階段は狭いが、バスルームも清潔で、予想していた以上に快適に過ごすことができた。

ヒヴァの城壁内はコンパクトにまとまっているので、1日もあれば十分に満喫できる。モスクやミナレット、メドレセ、宮殿など、何がなんだかわからなくなってくるが(笑)、その中で一番のオススメは、「キョフナ・アルク」という西門に近い宮殿の見張り台である。ここからはヒヴァ全体を見渡すことができ、天気がいいと遠くの砂漠まで見ることができる。

ここでもとにかく子供たちが元気で、笑顔で声をかけてくれた。写真を一緒にとって、それをすぐ見せてあげると、ただそれだけですごく喜んで、「ラフマト!(ありがとうの意)」もしくは「ありがとう!」と言ってくれる。


ウズベキスタンを巡って感じたことは、とにかく人があたたかいということである。もちろん遺跡や建物(モスクやメドレセ、宮殿)なども素晴らしかったが、ここまで人の魅力に感動することは予想もしていなかった。ウズベキスタンに訪れた人たちに、「ウズベキスタンはいいから是非行って」と言われていたその理由がよくわかった気がする。旅の楽しみをどこに感じるかというのは人それぞれだと思うが、やはり地元の人との触れ合いがあってこそだと思う。そういう意味でウズベキスタンでは、現地の方の友好的な姿に触れ、笑顔で我々を迎えてくれたことに、とても感動した。今日本にいて思い出すのは、あのときに会って「こんにちは!」と声をかけてくれた女の子とか、
「島唄」を演奏してくれたおじさんとか、真剣にチェスをやりながらも私が興味深そうに覗くと笑顔で手を振ってくれたおじいちゃんとか、
サマルカンドのバザールでナンを売るおばちゃんが、
「私と写真を撮って!」とノリノリで話しかけてきたこととか、とにかく人との出会いが一番である。やはり旅の醍醐味は一期一会の出会いなのだと感じる。


2010年5月 倉田

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