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ブータンからインドへ 国境越えの旅[2010年12月24日]

ファイブスタークラブのブータン・インド方面のツアーには、ブータンからインドへ車で走って、陸路で国境を越えるという「へえ?!そんなパッケージツアーがあるの??」と思われるようなコースがあります。そのコースを辿って旅をしてきました。

ボクが辿ったルートは、ブータンのパロ(国際空港のある町)から山あいの道を一路南下してインドとの国境の町プンツォリンに達し、そこで国境を越え、インド側の町ジャイゴンで1泊、翌日、こんどは紅茶で有名なダージリンまで走る、というもの。パロからジャイゴンまでがおよそ170kmで約7時間、ジャイゴンからダージリンまでが、また約7時間、という長旅です。

距離が離れているだけではありません。ブータンのパロは標高約2,300m、インドのジャイゴンは約2~300m。高地から低地へ行くと気温はぐんぐん上がります。冬の朝から夏の昼へ旅するような移動です。熱帯の夜を過ごしたその翌日は、また、標高2,100~2,200mのダージリンまで駆け上がって、冬の夜に着く、というような感じです。

ブータンのパロの山中にあるタクツァン僧院で
(隣はガイドさん)

初めてのブータン、パロの観光を楽しんだボクは、いよいよインドに向けて、11月3日、早朝6時、ホテルを出発しました。季節は秋ですが、ブータンの朝は寒く、大阪の真冬よりよっぽど冷えています。

パロの町の北方にあるホテルを発つとすぐ、やはり、北方からパロの町に向かう軍隊のトラック数台を追い抜きました。幌をかぶった荷台には、大勢の兵士が銃を抱えて座っています。その顔は、見馴れた(日本人そっくりの)ブータン人の顔ではなく、黒っぽくて彫りが深い濃い顔つきです。ガイドが「INDIAN ARMY」だと言いました。インド軍の兵隊たちなのです。
パロから北へ行く道は、車で20分ほども走ると、舗装が終わり、あとは馬やロバに乗るか歩いてしか行けなくなります。その先の先には中国国境があって、防衛のために道路を付けていないのです。そして、そこに、なんとインド軍が駐屯していてブータンを守っているというのです。「なんとまあ、よその国の軍に自国の国境を守ってもらっているとは、、、。」 ボクはちょっと驚き、あきれもしましたが、すぐ、気づき、こんどは少し恥ずかしい気持ちになりました。 「あ、日本もそうや。」 沖縄や、基地のある所ではアメリカの兵隊たちがかっ歩してる、これといっしょや、って。

インド陸軍のトラック

ボクを乗せた車は、早朝でまだ誰も歩いていない町の中を抜け、町の南側にある空港の脇を走りすぎ、いよいよパロを出て渓谷沿いの道に入っていきます。

首都ティンプーからの道との合流点にあるゲート

パロから40分でチュゾムという、首都ティンプーからの道との合流点に着きました。
大きな、いかにもブータン風のゲートがあり、インドから来た人たち向けに「WELCOME TO KINGDOM OF BHUTAN」という看板が掲げられています。インドからの旅行者たちは、これを見て、いよいよブータンの中心部まで来たんだ、と感じられることでしょう。
ガイドが、上を指さしました。崖のはるか上の方に長いしっぽが見えます。猿でした。ニホンザルより少し大型の猿が悠然とボクたちを見下ろしながら歩いていました。

チュゾムを過ぎた車は、相変わらず、渓谷沿いの道を進みます。崖に切り込んで作った道なので片側は壁のように切り立った岩、反対側は落ちると谷に真っ逆さま、という典型的な渓谷の道です。道幅は狭まって、しかもカーブが多く、車のスピードはガクンと落ちました。道路はデコボコになっている所が多くなり、ますます車は徐行します。

切り立った崖に沿って走る

そんな道を進んでいくと、高度はどんどんどんどん上がっていき、谷底を這う川面は下へ下へと遠ざかっていきます。やがて、このあたりで一番高い峠に達しました。

峠付近からの山と谷の景色

車を止めて写真を撮っていると、横をインド人らしき女性と子供が歩いて行きました。そこはチャプチャという集落の近くなのですが、ガイドによると、ここにもインド軍の駐屯地があり、村人もインド人ということでした。

パロを出て2時間たち、8時を過ぎた所で朝食をとるためにレストランに入りました。出るのが朝早かったので、ホテルではまだ朝食を出してもらえませんでした。あたりには町も集落もなく、また、そのレストランの前には広い駐車スペースがあったので、きっと、ドライブインとして使われているんだろうと思います。
こんな山奥の田舎のレストランなのに(な~~んて言い方は失礼かなあ?)イギリス風の小さなトーストにたっぷりのジャム、目玉焼き、それに紅茶という洋式の朝食を出してくれました。

朝食をとったレストラン(ドライブ・イン)

この道は、インドからの物資がブータンに輸送される大動脈のようで、こんな細くてカーブ続きの道なのに、荷物を満載した大型のトラックと次々にすれ違います。でも、山奥の崖に沿った道です。これを切り開くだけでもすごい難工事だったでしょうから、道路はたぶん、そんなに頑丈には作られなかったのでしょう、いたるところが傷んでガタガタになっています。それで、ところどころで道路工事をしていました。
でも工事の様子は日本のそれとは違っています。まず、重機はあまり見あたらなくて、人が手でスコップを使って掘っていること、それと、そこに子供たちがいることです。きっと、親が働いている間、子供たちを預けておくような保育所みたいなものがないか、あってもそうできるだけのお金がないからなのでしょう。

子供連れで道路工事をする人たち

この行程中で一番大きな町がチュカという、水力発電所のある所ですが、その町を行き過ぎた田所の対岸に大きな滝を見付けました。ガイドも名前を知らない、と言っていましたから、ボクは勝手に「チュカの大滝」と名付けることにしました。見える限りでは2段の滝になっていて、合わせると相当な高さです。水量もあって、これはけっこうな景観でした。急ぐ旅であることを忘れて、しばし、滝に見入ってしまいました。

チュカの大滝

さらに走って行くと、車窓から、山中には不似合いな、これまで見られてきたブータンの伝統的な家とは違ったコンクリートの大きな建物が並ぶ町が見えてきました。これは、ブータン王立大学 のゲドゥ分校で、大学の建物だけでなく、学生たちが住む建物も新しく造られた、大学のためにできあがった町のようでした。ここまで、自然の中の人口密度の極端に少ない所だけを進んできたので、いきなり、こんな学生たちがいっぱいいる人間の集団が現れると何か妙な気分です。

ブータン王立大学 ゲドゥ分校

日本や他の国の大学と違うところは、、、、、学生たちがGパンをはいていないこと。Gパンどころか、みんな伝統衣装のゴやキラを着ているのです。

ブータン王立大学の学生たち

パロを出て5時間半を過ぎ、お昼が近くなって、車はプンツォリンに近づきました。標高もかなり下がってきたのか、すっかり暑くなって、ボクは上着もセーターも脱いで、シャツの袖をまくって窓からの風を受けていました。
やがて、車はついにプンツォリンとジャイゴンが見える高台のうえに着きました。

眼下に見えるプンツォリンとジャイゴン

車を降りて見下ろすと、はるか下の方に大きな川が流れていて、その手前に街が広がっています。その街は少しかすんでいて、上からは一つの町としか見えませんが、国境線で仕切られていて、手前がブータンのプンツォリン、向こう側がインドのジャイゴンだと言います。見えている川や、その向こうの平野はインドだとのことです。ああ、ブータンはあくまで山の国なのだな、やっと平野に出たら、もうそこはインドなのだな、と納得させられました。

急な下り坂を一気に駆け下りると、プンツォリンの町に入っていき、ボクはとうとう国境のゲートにたどり着きました。

国境のゲート(正面)とイミグレーション(左側)

このゲートの向こうはインドです。ボクの入国手続きはガイドがイミグレーション(出入国管理事務所)の建物に入って行なってくれました。ボクは、その間、ゲートをくぐって出入りする車と、ゲートの横の道を行き来する人たちを見ていました。
車はどれも、ボクたちのような出入国の手続きをしているようには見えません。ただ、係官の人がホースから水を出して、インドからブータンに入ってくる車のタイヤに掛けているだけです。インドの土を洗い流しているのでしょう。
横の道を、インド側からやってくる人たちも、全然チェックを受けている風には見えません。なんともおかしな国境の風景です。
でも、自由な行き来は地元の人たちだけで、ボクたち外国人はダメということでした。
もうひとつ、おかしなことと言えば、インド側にはいるための入国審査がここでは行われない、ということです。インドの出入国管理事務所はジャイゴンの町なかにあって、先に入国してしまってから、あとでそのオフィスに出かけていって、入国手続きをおこなったのでした。

雑踏のジャイゴンはやっぱりインド

ゲートをくぐってジャイゴンの町にはいると風景は一変し、そこには、人混みと、砂ぼこりと、散乱したゴミのインドの町がありました。やっぱり、インドや! 金網の国境を隔てただけなのに、インドはさっきまでいたブータンとはあまりにも違う、やっぱり、インドはインドでした。
到着したのはパロを出てから7時間、午後1時頃になっていました。気温はすっかり上がり、ボクは汗ばんだ身体で車を降り、これからまた同じ道をブータンのティンプーまで帰っていくガイドとドライバーを見送ったのでした。

2010年11月 小澤

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