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消滅するアラル海...消えないウズベキスタンの魅力...安倍首相も来たよ。[2015年12月01日]

今回は初の中央アジア、初の「スタン」であるウズベキスタンへの視察の機会をいただいた。なかなか個人的な旅行では、今まで候補にもあがってこなかったシルクロードの中間地点である。出発前にしっかりVISAの取得をして、十月の下旬のこの時期はウズベキスタン航空の直行便がお休みしているので、韓国の仁川を経由しアシアナ航空でタシケントまで約10時間、乗り継ぎがタイトな上、アシアナ航空の毎度の遅延の為ヒヤヒヤしたが無事乗り継ぎ、タシケントに到着した。現地で耳にした話では、来年からウズベキスタン航空が週3便に増便するらしい。フライトキャンセルが増えないか心配ではある。
仁川発タシケント行きの機内での事、ウズベキスタンの人であろう人達が、飛行機が離陸寸前だというのに空いている席を求めてウロチョロ、ウロチョロ。多数見受けられるほど落ち着きがない・・・ウズベキスタンに到着する前からそんな一面を垣間見ることが出来た。機内でウズベキスタンならではの、税関申告書を2枚も記入して到着に備える。

何と全ての外貨の持参金額を記入しなければならないなど厳しい。
また出国の際にも、記入が必要となるので保管用の1枚は大事に保管しておこう。
タシケントに到着後列なき列を並び、入国審査をするのだがキッチリ審査をするようで、
かなり時間を要した。長い時は1時間以上時間がかかるらしい。なおウズベキスタンは隣国も多く治安維持のため入国や出国、県境での検問などかなり念入りにやっているのが見受けられた。その甲斐もあって国内全土で治安が良好である。
バゲージを受け取り、税関申告書を2枚提出すると1枚返してくれるので、出国時まで大切に保管しなければならない。
また宿泊したすべての都市およびホテルでレジストレーションカードが発行され、これもパスポートに挟んで出国時にチェックしているようだが、紛失した1枚、予定外の民宿泊の為厳密には2枚足りなかったが、きちんとはチェックしていないようである。
また国際、国内、鉄道駅を含め利用者以外は立ち入り禁止の為、
荷物を受け取るとネームボードを持った空港係員が外のガイドまで連れて行ってくれるので、迷うことなく会うことが出来た。場合によっては、入国審査の手伝い(横入り)もしてくれるらしい。

インフレ?US$50分のスムの札束。

<アラル海と言う名の湖>
今回の目的は「アラル海」地球の歩き方に情報が少ないので、予備知識はほぼ皆無である。
首都タシケントに到着翌日、国内線を利用し、ウズベキスタンの西部の自治共和国であるカラカルパクスタン共和国の首都「ヌクス」に移動しアクセスする。
空港で待っていたローカルドライバーガイドの車をみてビックリ・・
おんぼろな古いセダンの車で行くようだ。後部座席に座る。
現地ドライバーと日本語ガイドがなにやら話している・・・ウズベク語?!なのでわからないが、ガイドに聞くと手配の内容ではジープで行くことになっているらしい。何故ならこの後道なき道の悪路を延々とドライブするのである。おんぼろの車では命の保証がない。
壊れたら最後、電波も人も何もない大地に置き去りである。
そんなこんなで、ドライバーチェンジである。いつ準備されるかわからないジープをひたすらホテルで待つこと、5時間ようやく新しい車のランドクルーザー当日手配で準備完了。
予定ではアラル海の湖畔でテント泊の予定だが、この時期は寒く氷点下の為、難しいそうであるが、その前に出発が5時間遅れで到着しても夜中なので、早くも予定変更の予感である。
何はともあれ、ひたすら走る事3時間半ほどで日が沈む前のムイナクに到着した。


ムイナクはもともと漁業でなりたっている地域であったが、今ではアラル海が完全に干上がり多数の漁船が放置され朽ち果てた姿は皮肉なことに船の墓場として有名になってしまった。またウズベキスタン側のアラル海と言うと一般にムイナクの船の墓場をイメージされる方が多い。ムイナクの村のはずれの小高い丘のモニュメントとともに錆びた鉄屑の漁船が放置されている。近くには博物館もあるので、変わり果てる前のムイナクの歴史をみることが出来る。

思った通り予定外の民宿で一泊し夜明け前にムイナクの町を後にして、アラル海の湖を目指す。ジープ(トヨタのランドクルーザー)で悪路の中を、道なき地平線が続く沙漠を進む。それにしても不思議なほど、ローカルドライバーが凄い!カーナビも地図もなければ、道もない!経験を頼りに真っ暗な道を進むこと4時間程すると消滅の危機に瀕するアラル海の湖畔に朝陽が昇るころ到着した。
かつて世界第4位の大きさを誇る湖だったアラル海もソ連による綿花栽培の用水として用いられたために半世紀で約5分の1に縮小してしまった。そして今なお縮小し続けている
アラル海は本当に消滅してしまうかもしれない。そしてアラル海を元の姿に戻すまでには、用水としての利用をやめたとしても70年もの歳月を要すると言われている。

泊まる予定だったテント。

道中には遥か昔の住居跡

何もない地平線を進む

スドチ・レイク

ラクダの行進にも出会う。

ちなみ予定ではアラル海が見渡せる丘の上にテントを張り一夜を過ごす予定だったが、昼間でも寒かった事を考えると、予定外が良かったのかも知れない。
なおアラル海は、塩分濃度が非常に濃いため夏の暖かい時期は、死海と同じように浮かびながら新聞を読むことが出来るらしい!!1泊2日の道中を含めトイレ・シャワーはないのであしからず。遺跡とは異なる新たな体験は思い出に残ります。

<カラ周り>
ヌクスからヒワへの移動日の事、道中カラ周りでもしてみる?!よくよく聞くと古代ホレズム文化を生み出したアムダリヤ川の流れを変えるたびに城を作り替え、1940年代に数百キロに渡り都城跡(カラ)が発見されて今なお点在している。アヤズ・カラにはユルタキャンプもあるので機会があれば宿泊してみるのも面白いだろう。キジル・カラ、トプラク・カラ、アヤズ・カラと3か所を周ったが観光客一人も会うことが出来なかったが、あまり知られていないウズベキスタンを見ることが出来ると思う。

日干しレンガで修復中のキジル・カラ

住民の居住区もあるトプラク・カラ

ユルタキャンプもあるアヤズ・カラ

<青の都 サマルカンド>
サマルカンド出身のタジク人の現地ガイドがポツリ。ウズベキスタンの国名を知らない人が多いらしい・・・しかしサマルカンドと言うと沢山の人がピンと来るほど有名な「サマルカンド」!!紀元前4世紀アレキサンダー大王が、その美しさに驚いたという長い歴史があるオアシス都市です。
レギスタン広場の3つのメドレセ(神学校)を始め、中央アジア最大級の「ビビハニムモスク」、イスラム教徒の聖地「シャヒジンダ廟群」など「青の都」と呼ばれる所以の外壁を覆う青いタイルのその独特の青色は、「サマルカンド・ブルー」と称えられとても美しい。
またナンの王様と言われるサマルカンド・ナンだけでなく、行列の出来るサマルカンドのプロフは激ウマでした。

大行列のブロフ屋さん

<タシケント>
タシケント観光の二日前に中央アジアを歴訪中の安倍首相がタシケント訪問し日本人墓地を訪れたそうだ。ソ連に抑留された日本人たちが遠い中央アジアのウズベキスタンまで流れ、治安の良いウズベキスタンの各地で安らかに眠っている。記念碑に刻まれた「鎮魂」そして石碑に漢字で刻まれた氏名・出身地には心の奥に刺さるもの感じずにはいられない。
また日本人が強制労働で見事な建物を作り上げたナヴォイ劇場も訪れて欲しい。その建物はタシケントの大地震でも唯一崩れなかったからこそ、ウズベキスタンの地でもメイド・イン・ジャパンの信頼や親日として好意を抱いてもらうことが出来ているのだろう。
しかしながら現在のウズベキスタンは、街中や車、電化製品を見ても間違いなく韓国が大勢を占めている。ちょうど安部さんも訪れたが日本とウズベキスタンが韓国と同等位には近い関係になってくれると非常にうれしく思う。

最後にウズベキスタンを旅行して分かった事があるので、これから旅行する方がいればぜひ日本語ガイド付きをお勧めしたい。やはり言葉の壁は高くウズベク語もしくはロシア語を話せないとかなり苦労する印象だ。しかしながらウズベキスタンの人はとても親切で愛嬌があり治安もとても良いので観光には最適です。

アラル海 ★★★★★ 地平線、水平線の大地が広がる。
サマルカンド ★★★★★ 鮮やかな青色は美しい。
タシケント★★★★★ 日本人の足跡を感じる事が出来る。

(2015年10月 大道 隆宏)

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