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『トルクメニスタンにある神秘の絶景、地獄の門とヤンギ・カラを巡る』[2016年11月01日]

「トルクメン人の家族といっしょに(メルヴ遺跡で)」

①トルクメニスタンの2つの絶景、地獄の門とヤンギ・カラ

イランとアフガニスタンの北に位置し、旧ソ連の中では最南端にあたる中央アジアのトルクメニスタンは、国土は日本のおよそ1.3倍。その大半を占めるのが広大なカラクム砂漠です。この砂漠の荒野には、世界中から観光客が訪れる神秘の絶景が2つあります。それが地獄の門とヤンギ・カラです。
どちらも見逃せない神秘の絶景、この2つの絶景を巡る旅を、存分に楽しんできました。

「天然ガスが火を噴くクレータ 地獄の門」

②カラクム砂漠の真ん中にあいた炎の大穴 地獄の門

○炎の大穴
カラクム砂漠のほぼ中央、首都のアシハバードから約260km北方、ダルヴァザというところの近く、砂漠のど真ん中に、地面が陥没してできた、直径90mにもなるような大きな穴が、ぽっかりと口を開けています。中をのぞくと、穴の底やら、側壁やら、いたる所からボウボウと音をたてて炎を上げています。穴の淵に立っているだけなのに、砂漠に吹く風がクレータの中で渦を巻き、炎に炙られ、熱風となってボクの身体を包むのです。

「あ、あ、頭が熱い!!」

○地獄の門の正体
1971年、旧ソ連による地質学調査で地中に天然ガスがいっぱいの洞窟が見つかりました。しかし、その調査中に落盤が起き、地面がドカンと陥没して直径90mにもなるような大きな穴がボッコリできました。幸い、人は落ちなかったのですが、その後、穴に落ちた動物たちがみんな穴の中で死んでしまうので、有毒ガスが出ていることが分かり、その対処のために火を点けたのだそうです。ところが、こんどはその火を二度と消すことができなくなってしまった、というのが、この地獄の門の正体です。大穴(クレータ)からは、天然ガスが吹き出し続け、その火は40年以上も燃え続けているという、他ではとうてい見られない絶景なのです。
近くに住んでいたダルヴァザの村の人々は、この炎の穴を「地獄への入り口=門」と呼んで、有毒ガスを恐れたのか、少し離れた場所に移り住んで行ってしまいました。

「カラクム砂漠の真ん中にあいた炎の大穴 地獄の門」


○他には何も無い
なので、今、クレータの周りには何もありません。見渡す限りの砂漠の中に、ただポッカリと大きな穴が空いているだけです。見物に訪れた観光客が、ひと晩をこの穴の炎といっしょに越すためのテントを張っていますが、その観光客たちが誤って穴に落ちないようにする柵もロープも、注意を促す標識も、記念撮影に欠かせない看板や記念碑も、「観光地」と呼ばれる所ならどこでもあるおみやげ屋さんや飲食物の露店も、もちろん駐車場もトイレも、な~~んにもありません。

「夜の闇の中で燃える地獄の門」

○夜こそが地獄の門
さて、日が傾き、砂漠を駆け抜ける風が次第に冷たくなって、空に星がまたたき始める時間になると、地獄の門の炎は、夜の闇に映えて、いっそう明るく激しく燃え上がって見えます。明るい昼間に見るよりも、夜、暗くなってからの姿の方が圧巻で、感動的ですらあるので、ぜひ夜になってからも見るべきなのですが、真っ暗な砂漠の中を車で走って帰ることはできないので、ここで夜を迎えるからには、朝まで過ごすしかありません。
と、いうことで、ホテルやロッジなどといった宿泊するための設備などあるはずもないので、多くの観光客たちは水道もトイレもないのに、ここでキャンプをしてひと晩を過ごし、朝になってから帰って行くのです。

「ボクが泊まったユルタ(モンゴルのゲル)」

ボクを案内したトルクメニスタンの旅行会社は、クレータから少し離れた場所に建てられたユルタ(モンゴルの「ゲル」、内モンゴルの「パオ」と同じ)にボクを泊めたので、夕食のバーベキューでお腹を満たした後、辺りが完全に暗くなってから、地獄の門に向かいました。
その様子は、動画でご覧下さい。

「夜の地獄の門に向かう-1」

「夜の地獄の門に向かう-1」

「夜の地獄の門」

○満天の星
砂漠の夜空は、地上が暗いので、星がたくさん見えます。おまけに高い建物も山も無いので空が広い。満天の星、というのは、このことなんだなあ、と、長い間忘れていた言葉が浮かびました。
この夜は、月齢5~6日のちょっと肥えたぐらいの三日月でしたから、月明かりもそれほどではなく、星を見るにはいい具合で、流れ星も見ることができました。
夕食の後に見た星たちは、ボクが眠っている間に夜空を回り、夜明け前にユルタから這い出したときには反転していました。北斗七星とカシオペアは北極星をはさんで逆の位置に輝き、未だ地平線の下で見えなかったオリオン座は南の高い空で他の星々を圧するほどの勇姿を誇っています。こんなに夜空の星を眺め続けたのはいつ以来だろうか・・・・・・・・。ボクは砂漠の夜明けを待ってユルタの横で立っていました。
 
③トルクメニスタンの首都アシハバードは別世界の街

○アシハバードは「アシカ+カバ」?

もう一つの絶景:ヤンギ・カラに行くために、まず、トルクメニスタンの首都アシハバードに向かいました。地獄の門があるダルヴァザから南へ約3時間、カラクム砂漠を突っ走ります。

「アシハバードの交差点ロータリーに立つオグズハンと周囲の兵士の英雄たちの像」

アシハバードは、日本では「アシハバード」とか「アシガバート」などと書かれていますが、現地でトルクメン人たちが呼んでいるのを聞くと「アシカバッ」としか聞き取れません。ボクの頭の中にはアシカとカバを足して2で割った動物(頭がアシカで、身体がカバ)の姿が浮かびます。しかし、この街の名前は「愛の町」という意味を表しているのだそうで、半分カバ、などと言うと叱られそうです。

○真っ白な街

このアシハバートは、1948年に大地震に襲われ、町の建物は壊滅的な被害を受けました。ですので、この町には古い歴史的な建造物は残っていません。しかも、1991年の独立以降は、中心部に次々と造られた主な建造物の外壁はほぼ全て、白い大理石張りに統一され、町の姿は一新されました。今や道路の幅は広く整備され、歩道やその外側の緑地帯も広々ととられ、道の両側に立ち並ぶ巨大なビル群はあくまで白く、整然と威容を誇っています。

「街に建つ白くて立派な大理石の建物」

「街に建つ白くて立派な大理石の建物」

「大通り沿いに巨大なビルが7~8棟、一気にまとめて建造中だった」

市民の足の路線バスも、どこかの国のように大きな広告が描かれたラッピングバスなどありません。真っ白なボディーの大型バスが、これまた白い壁でエアコン付きの待合室を備えた(!)バス停に停まります。道に架かる歩道橋も白、アンダーパスや高架道路の側壁まで白い大理石張り、という徹底ぶりです。

「バス停も白くてエアコン付き」

「歩道橋も白くて立派」

アシハバードでは白いビルの谷間を走るクルマもまた、白いのです。自家用車であるのに、多くの人が白かシルバーを選び、青や黄色の色彩豊かなクルマはほとんど走っていません。真っ赤なポルシェや黒塗りのハイヤーなど、この町の人たちには想像もできないでしょう。

○クルマは汚れていてはいけない
さらに、この町では汚れたクルマも走っていません。首都だから、でしょうが、クルマを汚したまま走ることが禁じられていて、周辺の砂漠から市内に入るときは、洗車して泥や砂をきれいに落とさなければなりません。汚れたままだと、警官に罰金を取られてしまうのだそうです。地獄の門からアシハバードに向かう観光客を乗せたクルマもみんな、アシハバードに入る手前の村でいったん足止めされ洗車してもらっているので、客の欧米人たちが手持ちぶさたにたむろしています。国境を越えて走る大型トレーラーだって例外ではありません。でかいタイヤにこびりついた泥を全部、高圧水で落としてもらうので時間がかかりますが、省くわけにはいかないようです。

「アシハバードに入る前の村で洗車する」

○奇妙で奇抜な建造物たち
どこへ行っても、白く大きなビルディングが建ち並んではいますが、中にはときどき、奇妙な格好で思わず目が引かれてしまう建物があります。奇抜な、と言っても良いようなものがあったりもします。巨大な目玉のような室内観覧車、貝殻を合わせたようなホテル、空を串刺す塔、星形(?)の「ウェディングパレス」、ロケットみたいな永世中立塔、などなど、ただ白い建物だけの町ではありません。

「室内観覧車:ALEM(宇宙の意)」

「5つのマーク(5つの州を表す)がある空を串刺す塔」

○アシハバードの夜景
夜になると、この町の白くて巨大な、そして奇妙な格好の建物たちは、またさらに、文字通り輝き出します。
高台にある永世中立塔やウェディングパレスは五色の色彩にライトアップされます。赤、紫、黄色、と次々に色を変えて照らされるのです。
商業ビルも、昼間は白いだけだと思われた建物が、夜には色とりどりのネオンサインを点け、違う顔を見せています。

『世界最大の星形建造物』とトルクメニスタン政府が誇るウェディングパレス」(上)「Yyldyz Hotel(貝殻を合わせたようなホテル)」(左下)「室内観覧車:ALEM(宇宙の意)」(右下)

「中立広場の永世中立塔(中立門)』

街灯は道路を明るく照らし、歩道を歩いていても、俗っぽい言い方の「昼間のように」ということばが、本当に当てはまるかと思えるほど明るいのです。
石油や天然ガスを産出する国なので、発電コストが安いからこんなことができるのか、と、ゲスの勘ぐりをしたくなるほどで、高い所から見ると、真っ黒い夜の中でこの町だけがボッと明るく浮かんで見えます。

「昼、白い店舗が夜はきらびやかな色彩」(上) 「アシハバード中心部の夜景」(下)

「アシハバードの夜景」

○アシハバードは別世界
と、いうわけで、この町はトルクメニスタンという国の中でも、と言うか、中央アジア全体の中でも別世界。毎日、砂礫や枯れ草ばかりの砂漠が続き、日干し煉瓦や木材で建てられた家、のそのそ歩くラクダ、、、、という、赤茶色や黄土色だらけの色合いに慣れた目には、アシハバードという町の景色は、まばゆいほどに輝いて見えることでしょう。

○アハルテケ馬の厩舎
ところで、トルクメニスタンは優秀な「アハルテケ」という種の馬の産地としても有名で、国じゅう、どこの都市に行っても立派な競馬場が造られています。
アシハバードでは、厩舎を見学することができ、何頭かアハルテケ馬を調教場に連れてきて見せてくれます。US$10を追加で支払えば、乗馬させてもくれます。初めての人でも調教師が引いて歩いてくれるので安心ですが、馬を操ることができる人は、補助なしでもかまいません。

「馬を調教場に引き出して見せてくれる(アハルテケ馬の厩舎で)」

「毛が短い種の馬(アハルテケ馬の厩舎で)」

「毛が無い種の人(あるハゲて馬に乗る男)」

「US$10で乗馬出来る。補助なしでも構わない。」

○ニサ遺跡
アシハバードから西に15kmの郊外にニサという、世界遺産に登録されている遺跡があります。
紀元前3世紀から3世紀にかけて、今のイラン・中央アジア・アフガニスタンに広がるパルティアというゾロアスター教(拝火教)を信仰する国が繁栄していました。ニサは、そのパルティアの初期はその首都だったという都市遺跡です。王の建物の跡が砂の下から発掘され、研究・整備されて公開されています。

「ニサ遺跡 全景」

「ニサ遺跡 王の玉座があった部屋跡の柱」

④奇跡の大地、炎の渓谷、ヤンギ・カラ

「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」

○ ヤンギ・カラへの遠い道
カスピ海に面したトルクメンバシの町からヤンギ・カラに行くには4輪駆動車が必須で、3時間あまり、カラクム砂漠とラクダやヒツジが草を食んでいる広大な荒野を、地平線の彼方まで続く一本道を走り続けねばなりません。カラフルな地層を持つ奇岩群が連なる雄大な大渓谷、ヤンギ・カラへ、4WDで駆け抜けるのです。少々、遠いですが、その先に広がる絶景は、遠かった道のりを一瞬で忘れさせてくれること間違いないので、徐々に近付いてくるその景色を楽しみながら進みましょう。

「地平線の彼方まで続く道のその先にヤンギ・カラが待っている」

○ ヤンギ・カラって?
トルクメニスタンの国土の大半を占めるのが広大なカラクム砂漠です。この砂漠が西のカスピ海に尽きる少し前にもう一つの絶景、奇跡の大地、ヤンギ・カラがあります。
ヤンギ・カラは、太古の昔、海の底であった大地が隆起し、石灰岩が風雨によって長い長い時間をかけて浸食され形成された地形で、200mほどの高さの段丘が続いて巨大な渓谷を成しています。

「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」

「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」

「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」

この丘の壁面は、別名「炎の渓谷」とも呼ばれ、地層の赤さと、雨水に浸食された襞のような模様で、大地が赤く燃え広がっている炎のような姿に見えます。赤やピンクの色は岩石に含まれるヨウ素、白い色は石灰質の岩からできていて、その縞模様の台地が果てしなく連なって広がっています。
テーブル状の台地の上からは、360度、地平が丸く感じる地の果てまで見渡すことができ、ヤンギ・カラが地球の大自然と何億年という悠久の時間の中で、数々の偶然が織り成した、まさに奇跡の造形である、ということが感じられます。

かつて海の底であったので、そこここから、アンモナイトの化石や二枚貝の化石等を見つけることも出来ます。

「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」

「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」

「ポキッと折れそうな岩。落ちれば奈落の底。平然と微笑むガイドさん」

「ポキッと折れそうな岩。落ちれば奈落の底。恐る恐るはしゃぐオザワさん」

⑤カスピ海に面した港町、トルクメンバシー

○ヤンギ・カラへの基地、トルクメンバシー
ヤンギ・カラへ日帰りで行くための基地となるのがトルクメンバシーという町です。
トルクメニスタンという国の西側の国境は、地球上で最も大きな湖カスピ海です。砂漠の国ですが、カスピ海に面してはトルクメニスタン唯一の港町があり、その名をトルクメンバシーと言います。この港からは、カスピ海を渡って、対岸のアゼルバイジャンの首都バクーまで行く国際航路の船も出ています。
旧ソ連時代は「クラスノボスク」と呼ばれ、独立後、独裁者として知られる初代大統領に「トルクメン人の長」という意味のトルクメンバシーと名付けられました。

「トルクメンバシーの工業地区」

トルクメンバシー付近は石油や天然ガスが豊富で、市内に大規模な石油精製工場がある工業都市でもあり、今日ではトルクメニスタンで最も大きい工業と観光の中心地の一つに発展しました。
また、カスピ海では、あの珍味キャビア(ロシア産が有名)が獲れるチョウザメ、マス、白身の魚、カスピカイアザラシなどが棲息し、何百万もの鳥が冬海岸沿いの保護区域で見られます。中にはフラミンゴやペリカンもいます。

「トルクメンバシーのバザール」

地元の人々でにぎわうバザールでは、カスピ海で獲れた魚が大量に並べられ、たくましいおばちゃんたちが勢い込んで売っています。
市の中心近くにある民族学博物館では、トルクメ二スタンの鉱物資源、カスピ海の動物群、トルクメニスタンの海運の歴史を知ることができます。

○高級ビーチリゾートのアワザ
トルクメンバシーの西側に隣接してアワザというビーチリゾートが整備されています。一つ一つが広大な敷地を持つ高級ホテルが海岸沿いに建ち並び、ビーチは全てそれぞれのホテルのプライベートビーチになっています。

「アワザのヨットハーバー」

カスピ海は湖とは言え、もちろん対岸など見えませんから、大きな波が寄せてこないことを除けば、海以外のなにものでもありません。岸辺を歩いていると、ついつい湖であることを忘れてしまいます。
広いビーチに沿って歩いて行くと、真っ白いヨットやクルージングボートが並んで浮かんでいて、リゾート気分に浸らせてくれます。

○日本兵の墓地
トルクメンバシーの、街から少し離れた場所の小高い台地の上に、
日本兵の墓地があり、墓標と記念碑が、強風の吹きすさぶ中で、静かに佇んでいます。
旧ソ連軍に捕虜にされ、シベリアに抑留された元日本兵たちが、遙か彼方、このカスピ海沿岸まで連れて来られ、過酷な強制労働に従事させられたのです。その正確な数は不明ですが、およそ1900人程度の捕虜兵がいたと言われています。彼らは、荒れた岩山を削って掘割道路を造りました。また、中心の駅前広場近くにある文化宮殿の工事にもあたったようです。

「強制労働の末斃れた抑留日本兵の墓地」

夏は50℃近い猛暑、冬は零下20℃にもなる極寒の地です。食料もロクに与えられず、つるはしやシャベルなどの簡単な道具だけを使って凍り付いた土や岩を掘ることを強いられ続け、何十人もの人がここに斃れました。無念極まりない話です。

記念碑には日本語で『鎮魂』という大きな文字と、
『望郷の念をいだきつつ ここカスピ海をのぞむカラクム砂漠に 抑留死した兵士たちよ あなたちとともに 永遠の平和をねがひ 日本とトルクメニスタンとの 友好のかけ橋ならんことを誓う』
という絞り出されたかのような言葉が、並んで刻まれています。(合掌。)

「抑留日本兵の墓地に立つ記念碑」

「抑留日本兵の鎮魂と両国の友好を誓う言葉」

この墓地からは、トルクメンバシ空港が遠望できます。この辺境の田舎町としては立派すぎる、大きくて白くてきれいな空港の建物が、暗い抑留の歴史とはあまりに対象的で、かえって余計に暗鬱な気分に襲われました。

【スタッフおススメ度】

<地獄の門>★★★★
キャンプをして夜の姿も目に焼き付けてほしいですが、冬は極寒の世界になるので不可能。良い時期に計画して下さい。

<アシハバード>★★★
なかなかこんな町にはお目にかかれない。好奇心旺盛な人には最高におもしろいかも。

<ヤンギ・カラ>★★★★★
スケールの点ではグランドキャニオンには及びませんが、一望できる限りにおいてはこの上なく雄大で、かつ、驚くべき造形です。まだ観光客に犯されていない純粋無垢な秘境。神秘性すら感じるので、おススメ度最高水準のスポットです。

<トルクメンバシー>★★★
誰もが知っている「カスピ海」の名前。でも、見たことのある日本人はほとんどいない。百聞は一見に如かず。いちど世界一の湖を見てみましょう。
シベリア抑留の元日本兵の墓地も参っていただきたい所です。特に若い人には、こんなことが本当にあったということを、ぜひ知ってもらいたいと思います。

(小澤 誠 旅行期間:2016年 10月4日から 10月13日までの10日間)

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