中央アジア紀行 キルギスとトルクメニスタンの旅 (キルギス・トルクメニスタン)

ブラナの塔

アル・アラチャ自然公園

キルギス

中央アジア・シルクロード。ウズベキスタンを除いては、日本人にとってまだまだ未知の国々が多いエリアだ。キルギス、トルクメニスタン、カザフスタン、タジキスタン。名前は聞いたことがあっても、どんな国かを知っている人はあまりいないはず。私自身、ウズベキスタンは過去に訪れたことはあったが、今回あらたに訪れたキルギスとトルクメニスタンは、なかなかイメージしにくい未知の国々であった。キルギスがこれほど自然豊かで、民族の十字路と呼ばれるほどの魅力を秘めた国だったことも、トルクメニスタンがこれほどユニークな国だったことも。

ウィグル人の家庭訪問(カラコル)

アル・アラチャ自然公園

ジュディ・オグス

トルクメニスタンの女性

タルクーチカバザール(アシハバード)

スルタン・サンジャル廟(マーリ)

お茶の缶にも大統領が!

まずはトルクメニスタンの初代大統領の話から

トルクメニスタンは北朝鮮に似た独裁政権の国として知られる。町中を車で走っていると、初代大統領の黄金の像があったり、ホテルには写真が飾られていたり、お札にもその顔は登場しているし、果てはお茶の缶にまで自らの顔を印刷するという徹底ぶりである。
パシュという愛称で親しまれる独裁国家の君主であった初代大統領は、天然ガスで得た富を使って首都アシハバードを白い大理石を多用した、緑の多い美しい町に生まれ変わらせたのだ。1948年の大地震で壊滅した町なので、現在ここに古い建物はない。白亜の建物が整然と並び、広場には噴水があり、夜にはライトアップされて煌めくのである。
ところが、その君主、パシュは今から2年前の2006年に死去していた。

トルクメンバシーモスク(アシハバード)

この国を象徴する優美なモスクと霊廟に感動

中立のアーチ(アシハバード)

トルクメニスタンは永世中立国

1995年、この国は永世中立国として国連に認められたという。それを記念して1998年に町中に建てられた中立門のアーチという75メートルのタワーがある。アーチは夜、カラフルに変化するライトアップで美しく輝く、ロケットのような形のタワーだ。最上部は展望台になっていて、外部に取り付けられた箱型エレベーターで昇り、展望を楽しめる。整然とした町を一望のもとに眺めた。

タルクーチカバザール(アシハバード)

タルクーチカバザール(アシハバード)

タルクーチカ・バザールで見かけた女性たちの衣装に釘付け!

アシハバードの近郊5km、砂漠化した埃っぽい場所に、週3回各地から人々が集まり商品を売るバザールが人々で賑わっている。野菜や果物、ジュース屋にピロシキ屋、そして韓国人がキムチを山盛りにして売っていたりする。絨毯を広げて飾る露天商、刺繍の入った民芸品のポシェットや丸い帽子、羊の毛皮のロシア風フワフワ帽子やミンクの帽子など、見ているだけで楽しい。そして市場もさることながら、買い物に来ている地元の女性たちの服装が色鮮やかで美しく、眺めていると、まるで色の洪水の中に入った気分だ。
4月後半の季節、昼間は30℃と暑いので、半袖のワンピース姿の人が多いが、丈は踝まで隠れるほどに長く身体にフィットしたワンピースが多く、胸元が意外に露出しているセクシーな人もいる。皆がそれぞれに異なる色柄で、個性的で本当に素敵な民族衣装だ。こうした服装は中央アジアの他の国々では見かけないだけに、新鮮な驚きだった。

予想以上に美味しい料理の数々

タルクーチカバザール(アシハバード)

タルクーチカバザール(アシハバード)

結婚式のカップル(マーリ)

グーズ・カラー(メルブ遺跡)

世界遺産のメルヴ遺跡を目指し、一路マーリへひとっ飛び

アシハバードから南東に位置するマーリまでは国内線で約1時間。B717の小さい飛行機で向かう。ロシア人で英語が堪能な若い男性ガイドのイゴールさんが同行してくれる。説明も丁寧だし、なかなか優秀なガイドさんだ。
機内には民族衣装と銀の飾りを付け、白いベールで顔を隠した女の人とその付き添いの人々がいた。聞くと、結婚式でマーリに向かう花嫁さんのご一行らしい。トルクメニスタンの伝統的な習慣で、花嫁は40日間ずっと60kgもの重い銀のアクセサリーを全身につけていなくてはならず、結婚式までその顔を見せてはいけないそうだ。強くたくましく、困難に立ち向かえるトルクメニスタンの女性を体現するための習慣というが、見るからに過酷だ。
マーリの空港に着くと、楽隊の演奏と共に、赤いYシャツに黄色のネクタイというド派手なおじさんをはじめ、たくさんの出迎えを受け、花嫁のご一行は、リボンで飾られた車で走り去っていった。今日は休日、それも「馬の日」という。この国で絨毯と並び名産といわれるのが馬なのだと聞いた。休日だから、町のあちこちで、結婚式の飾りの付いた車が走っていた。

トルクメニスタンの人々(メルブ遺跡)

トルクメニスタンの子供たち

世界最西端の仏跡、城壁に囲まれた古代遺跡は必見

マーリから東へ約25キロ、100平方kmに及ぶ広い敷地の中に、紀元前6世紀から18世紀に至るオアシス都市メルヴの遺跡が点在している。最も古い初期メルヴの遺跡である、エルクガラーとギャーウルガラー。ガラ―とは城壁を意味するらしい。高台にあって、厚さ8m、高さ15mもの城壁に囲まれた砦は、かつて川幅12m、水深8mものお堀で囲まれ、外的の進入を防いでいた。今では高台から見下ろす風景は荒涼とし、城壁の周りには泥状の湿地が広がっているばかりだ。でもこの地が仏教遺跡としては西の果てにあたり、ゾロアスター教、仏教、マニ教などの遺跡が出土したという。
紀元6世紀から7世紀に建てられ、メルヴ遺跡の中心的存在がグーズガラーである。階段を登って城壁の内側に入って内部の見学ができた。遺跡見学も興味深いが、私にはこの地に見学に訪れていたトルクメニスタン人女性のグループの姿がもっと興味深かった。記念写真を撮らせてもらったが、皆の服装がそれは美しく、土色の遺跡を背景に、色鮮やかで魅せられる写真となった。(そしてそのショットは、シルクロードのパンフレットの表紙を飾ることになった)

ガイドのイゴールさんお世話になりました

簡単じゃない!3時間かかった、トルクメニスタンからウズベキスタンの国境越え

国立オペラ劇場(ビシュケク)

あっけないほど簡単なキルギス入国

カザフスタンからキルギスへの国境越えも陸路であった。キルギスのガイドさんとドライバーさんがキルギスの首都ビシュケクから、国境を越えてカザフスタンの首都アルマトイまで迎えに来てくれるシステムだ。
アルマトイの観光を終え、一路キルギス国境へ走ること3時間半。国境越えのシンプルなことといったら、あっけないほどであった。キルギスはビザ不要だし、入国カードもないし、ガイドさんが車を降りてパスポートを見せに行き2分で審査終了!国境からビシュケクへは車で30分と近いのだ。

ロシア人のガイドさん

ガイドさんとドライバーさん

石人(ブラナの塔)

民族の十字路キルギスの魅力

キルギスにはなんと80もの民族が暮らしている。でも国民の95%がロシア語を話すという。老人はキルギス語を話す人も多い。町の看板にはロシア語とキルギス語が両方書かれている場合も多い。とりあえずこの国では自分の言葉以外にロシア語は必須のようだ。
道行く人々の中にはロシア系の人もいれば、日本人に似た顔立ちの人が多い。いろんな顔立ちの、いろんな髪の色の、さまざまな宗教の人々が混在する、ここは不思議な旧ソ連の国なのである。
今回お世話してくれたキルギス人英語ガイドのジュリアさんはタタール系ロシア人で、色白で赤毛のショートカットのとてもチャーミングな女の子。20歳ぐらいで、射撃の名手でキルギスのチャンピオンでアジア大会にも出場したほどだという。とても活発で明るくて、ジュリアさんのお陰でキルギスの旅の楽しさは倍増したのだった。ジョークの面白いドライバーさんはウイグル人で、ジュリアさんとも仲がいい。ロシア語で話す二人の会話はわからないものの、人種の違う二人がごく自然に友達同士なのも、見ていて微笑ましいものだ。

ドゥンガン人の家庭訪問

聖三位一体教会(カラコル)

ドゥンガン人の家庭訪問へ

アラブ人と中国人のハーフがドゥンガン人と呼ばれる。イシククル湖の南東に位置するカラコルの町には、130年余り前に中国を逃れてこの地にやってきたイスラム教中国人の子孫が数多く暮らしている。その源が西安の銅門(ドゥンガン)であることから、ドゥンガンと呼ばれるが、自らのことを彼らはフイツー(回族)と呼ぶ。実際、この町にはロシアの三位一体教会があると思えば、すぐ近くにドゥンガン人の建てた中国風建築のチャイニーズモスクもある。
カラコルの町では、旅人をティーセレモニーでもてなし、話を聞かせてくれるドゥンガン人やウイグル人の家庭があって、ツアーでもそうしたプランが組み込まれているのだ。この地に暮らすドゥンガンファミリーのニャンシャンローさんの家庭のティーセレモニーにお邪魔した。手広く農業を営み、暮らしぶりはいい。高い床の上に低いテーブルをおいて、座布団を敷いた居間に通される。
テーブルにはたくさんのお菓子やお茶が並ぶ。小麦粉を細いひも状に練って油で揚げたサンザ、ナベットと呼ばれる氷砂糖、ナッツやドライフルーツの入ったパイ、四角い蜂蜜入りのカリントウのようなチャクチャクというお菓子。どれもが奥さんの手作りだという。「フアツァ」と呼ぶ、紅茶にドライフルーツや胡桃、氷砂糖を入れて何度もお代わりして飲むのが習慣だ。ほんのり自然な甘さが病みつきになる美味しさだ。
英語は通じないお父さんたちの話はジュリアさんがロシア語で聞いて通訳してくれた。暮らしは中国人のようだし、顔つきも中国人のようだが、言葉はロシア語とキルギス語とドゥンガン語を話す。今は漢字の読み書きもできないらしい。モスリムなので、一生に一度はメッカへハジ(巡礼)に行くが、それと同じように祖先の源の地である西安の銅門を訪れるのも彼らの願いだそうだ。30分あまりのティータイムだったが、ご家族の歴史や苦労話も聞いて、写真も見せていただいた。お別れするときは、お父さんが名残惜しそうにいつまでも手を振ってくれたのが印象的だった。

伝説に彩られた、美しきイシククル湖

イシククル湖畔クルーズ

イシククル湖畔と天山山脈

岩絵博物館(イシククル湖)

鷹狩り初体験

イシククル湖南岸にあるボコンバイエフ村で、名産品のフエルト工場で知り合ったおばさんの紹介で運よく鷹狩りのショーを見せてもらうことになった。鷹は7歳のオスで体重は10kgもある。大きくて羽を広げると1メートルはあって恐いくらいの迫力だ。男の腕に載っているのを見ているだけでドキドキする。近くで見るとダチョウのような顔でクチバシも鋭く口をあけると舌も見える。目はクルンとしてなかなか可愛い。
普段は目隠し帽を被せて移動する。皆でバンに乗ってショーを見る荒野へと走る。一面に何もない広々とした荒野で、丘に登ってそこから鷹を飛ばし、下のほうに放った1匹の白ウサギを狩るいう趣向だ。ウサギはすごく可愛くて、考えるとちょっと可哀想な残酷なショーである。ウサギを追い詰めて、鋭いクチバシで止めを刺し、動けなくなったところで、じっとご主人様である人間が来るのを待つわけだ。決してそれまで肉を勝手には食べないそうだ。
ところが待てど暮らせど鷹は狩りをしなかった。鷹は半年のブランクのせいで狩りを忘れてしまったとかで、あらぬ方向へ飛んでいってばかりで、ウサギを追いかけようともしなかったのだ。狩りのシーンは見られず残念だったが、鷹狩りのムードに浸れただけでもよかった。なにより白ウサギの命が少し長らえるのにもホッとした。
そして、ちなみに最初の予定価格2000ソム(約6000円)のショー代を、鷹狩り失敗のため半額の1000ソムにしてくれた。

フェルト工場(ボコンバエフ村)

鷹狩り(ボコンバエフ村)

鷹狩り(ボコンバエフ村)

アルティン・アラシャンへはロシア製のトラックで行く

アルティン・アラシャンの温泉

アル・アラチャ自然公園

ガイドさんと記念撮影(ビシュケク)

巨大ジープでハイキング&温泉の旅

今回の旅のハイライトとも言える楽しい1日は、巨大ジープ乗りから始まった。カラコルのホテルに迎えに来たのは、なんとロシアの軍用トラック。自衛隊の巨大ジープのようなすごい迫力のカーキ色のトラックだ。タイヤも驚くほど大きい。標高2,400メートルの温泉地アルティン・アラシャンまでの道のりは、たしかに三菱の4WDではまったく無理なほどの悪路だ。氷河が切り開いた森には樹齢数百年の大きなもみの林が谷底からニョキニョキと生え、氷河の水が溶けてできた渓流を横目に眺めつつ、岩の塊りまでごろごろと転がっているガタガタ道を、思い切り揺られながらの、片道2時間半の道中だ。途中で氷河がパックリと割れ目を見せていたので、車を降りて見る。ジュリアさんは駆け上がり覗いていたが、ツルツル滑ってこけていたので、私はちょっと遠慮しておいた。
着いたところは標高3,000メートル級の山々に囲まれた小さな村だ。通称テント峰と呼ばれるパラータ山は、その名の通りテントを張ったような姿で標高4,260m、このあたりの最高峰だ。
いくつか立っている掘っ立て小屋は室内温泉である。その中のひとつの家族風呂のような温泉に独占状態で入る。普通は水着着用だが、シーズンオフで他にお客さんもいないので、鍵をかけて裸で入った。湯は30℃くらいだが、外が寒いのでとても温かくて気持ちがいい。こんな山奥で温泉とは極楽気分である。ミネラル分がかなり豊富なので15分以上一度に浸かるのはダメらしい。

ポカポカに身体の芯から暖まったあとは、ランチタイムだ。骨付きチキンにソーセージ、チーズ、パンにボイルドポテトにリンゴやキュウリ・・・と盛りだくさんなメニュー。残った骨や残飯は、温泉の可愛い飼い犬たちに全部やる。子犬や猫とも遊んだのんびりした時間だった。周りの草原には羊が群れている。ハイキングをしたり、のんびり散歩したりが楽しいところであった。

キルギスには自然がいっぱいで、ここのほかにも、ミネラルウォーターが湧き出ているハイキング地のジュディ・オグスを散策したり、首都ビシュケクの近郊、車でほんの30分ほどの、アル・アラチャ自然公園にも足を伸ばして、2時間近くの山歩きを楽しんだ。
キルギスではよく歩き、よく笑い、自然を楽しみ、人々との触れ合いを満喫した旅であった。